五三短律句事始め

はじめに

まこと 己(おのれ)こそ よるべ

 「己こそ よるべ」という言葉は釈迦の教えです。釈迦入滅の間際に、従者の阿難が「尊師亡き後、何をたよればよいのでしょうか」と涙ながらに窺(うかが)いを立てたとき、釈迦が答えた「自灯明、法灯明」の教えはブッダ最後の説法として特に有名です。

 

この世で自らを島とし 自らをたよりとして 他をたよりとせず
法を島とし 法をよりどころとして 他のものをよりどころとせずにあれ

 

 島とか洲というのは、ガンジス河の急流から突き出ている小高い地面のことです。世間の荒波を渡る時の安全地帯の具体的な喩えとして用いられます。島は漢訳で燈明と訳されることもあります。真っ暗な夜道を迷いながら一人淋しく歩いているとき、遠くに一つの灯火が見えるとどんなに心強いでしょうか。自灯明というのはその灯火が自分自身だということです。

 釈迦の言葉を正しく伝えたとされる原始経典『ダンマパダ』の第十二「自己の章」に次のような偈(げ)があります。

 

おのれこそ おのれのよるべ
おのれを措きて 誰によるべぞ
よくととのえし おのれこそ
まことにえがたき よるべをぞ獲(え)ん(一六〇)

 

 ただの「おのれ」ではありません。三行目の「よくととのえし おのれ」こそがよるべとなるのです。「よくととのえし おのれ」とは、法(釈迦の教え)を身につけたおのれのことです。ですから、「自己にたよる」ことは同時に「法にたよる」ことで、「自灯明」と「法灯明」とは実は同じことを言っているのです。