五三短律句事始め

はじめに

歩く この道を ひとり

 これは陳腐な句です。「ひとり この道を 歩く」という言葉はよく耳にします。もとを遡れば、これも釈迦の言葉です。

 釈迦の教えは至極厳しいのです。『サンユッタ・ニカーヤ』に「一つの途(みち)を二人で行くな」という言葉があります。「おのれを措きて、誰によるべぞ」で、自分の人生は、結局は自分一人で歩む以外にないのです。一人で歩いてこそ自分の道を自分で拓くことができるのです。自分を救えるのは他でもない自分自身以外にないのです。原始仏典『スッタニパータ』の「犀の角」の章に次の偈があります。

 

至高の目的のために励み
心怯むことなく 怠らず 
体力と知力を具えて堅固に
犀の角のようにただ独り歩め(四四)

 

激しい執着をなくすために 注意深く賢明に
学び 考え 教えを理解し 自制し努力して
犀の角のようにただ独り歩め(四六)

 

 私がひとり歩く「この道」とは、いったいどんな道なのでしょうか。「どんな道でもない。ただの道、ただただならぬ、ただの道」。ただの道とは、誰でも通るふつうの平凡な道のことです。でも、その道は自分以外誰も通れない、通ったことのない道なのです。生れるときも一人、死ぬときも一人、そして生きて人生を歩む道もただ一人。他にこの道を歩める人は誰もいないのです。それが「ただならぬ」ということです。はじめにの第四句「墨絵 枯木(こき)にモズ 一羽」は、国の重要文化財に指定されている宮本武蔵の『枯木鳴(こぼくめい)鵙図(げきず)』をただ言葉にしただけのものです。凛とした孤高を感じさせます。