「一隅を照らす」は、天台宗開祖の伝教(でんぎょう)大師(だいし)最澄が書いた『山家学生式(さんげがくしょうしき)』の冒頭の教え「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」に出てくる言葉です。
一隅というのは、今自分がいる処、あるいはもっと端的に自分自身のことといっていいかもしれません。世間の片隅にいる自分がみずから光となって自分にご縁のある身近な周囲を照らし、その光の輪を世界に広げていくことが私たちに与えられた本来の使命であるという教えです。置かれた場所で人の愛(め)でる花を咲かせなさいということでしょう。
天台本覚思想の根本教理は「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」です。自らが光になるというのは、自分自身に光を当てて、私たちの誰にでも具わっている宝、すなわち仏性(仏の性質)をわが身に顕(あらわ)すことです。
最澄の珠玉の言葉に「闇の」と前置きを置くのははばかられますが、照らす対象は闇でしょう。闇に迷っている凡夫の自分を照らすのがまず第一です。そして、翻って光の届かない世間の片隅を照らすのが仏の慈悲であり、福祉の精神なのです。自利利他の生き方です。「闇の一隅を照らす」人が、社会にとってなくてはならない国の宝なのです。