最近、昼間に月をご覧になったことがありますか。おそらく昼間の喧騒に煩わされて誰も見た人はいないでしょう。今ごろでは日が西に傾く頃、東の空にひっそりと遠慮がちに浮かんでいるのを見ることができます。空の青に染み、雲の白に染み、なんとも頼りげない風情です。あまりにも影が薄いので、そこに月があることさえ、誰も気づかないほどです。
私は、いつのころからか昼間の白い月を、ある種の感傷をもってながめる習わしが身についてしまいました。見つめているうちに、なんだか哀れで、いとおしい感情がこみあげてくるのです。きっと白い月に重度の知的障害をもつわが子の姿を見ているからなのでしょう。
一方、夜に見る月は、こうこうと金色に輝き、まるで風情が異なっています。空いっぱいにキラメク星を従えて、夜空に君臨する女王のようです。人びとも、やれ十五夜だの、やれ中秋の名月だのと、月見の宴まで張って、その美しさをめでたたえます。
でも、考え違いしてはなりません。月には何の違いもないのです。昼であれ夜であれ、月はいつも太陽の光を浴びて輝いているのです。ただ自分の見上げる空が明るいか暗いかだけの違いです。
昼の白い月は〈あわれ〉と詠みましたが、〈あわれ〉は、広辞苑によりますと、人生の機微やはかなさなどに触れたときに感ずる、しみじみとした情趣という意味です。本居宣長は、この日本固有の情感を「もののあわれ」という言葉で表現し、これこそが日本文化の美的理念であると唱えました。このことは、日本人ならだれでも周知のことでしょう。
昼間、一度空を見上げてみませんか。曇っていなければ、どこか空の片隅に白い月が見えるはずです。その月に〈あわれ〉を感じるみんなの心が、この世の中を明るい平和なものにするのではないでしょうか。そして、そういう世の中でこそ、昼間の白い月ももっと存在感を増すことができるのだと思います。