たしかに亀の歩みはのろい。まるで坐禅のあとの経行のようです。でも、のろいのは悪いことばかりではありません。
フランスに「ゆっくり行くものは、遠くへゆく」という諺があるそうです。亀の歩みがのろいのは、ただならぬことなのです。
イソップ童話の一つに『うさぎとかめ』の話があります。お馴染みの「もしもしかめよかめさんよ」という童謡の歌詞は、ほぼイソップ物語の内容に沿っています。誰かから聞いた話ですが、その中で善玉として描かれているはずのかめの行為にも批判される点があるのだそうです。かめはグッスリ寝込んでいるうさぎのそばを通り過ぎるとき、なんで一声かけてやらなかったのか、アンフェアではないか、というのです。きっとかめは勝ちたい一心で、こころにゆとりがなかったのでしょうか。実はそうではなかったのです。
私は、前にもあげた拙著『人生 ご破算で根がいましては ゼロと空の生き方』で、この歌詞を独断的に新解釈しています。以下、その骨子だけを述べます。
もしもし かめよ かめさんよ/せかいのうちで おまえほど/あゆみののろい ものはない/どうして そんなに のろいのか
と、うさぎがかめをからかいます。怒ったかめは、無謀にも百%負け戦のかけっこを提案します。
なんと おっしゃる うさぎさん/そんなら おまえと かけくらべ/むこうの おやまの ふもとまで/どちらが さきに かけつくか
でも、真珠湾攻撃の日本軍とは違って、かめには十分勝算があったのです。
先ほど述べたフランスの諺どおり、実は、かめは長距離競走に長(た)けたマラソン・ランナーだったのです。かめは足がのろく愚鈍のようにみえますが、自分をよく心得ていました。それに対して、うさぎは、足が速く才気走ってはいますが、肝心の己についてはまったく無知の短距離選手だったのです。かめはそのことをちゃんとわかっていたのです。ですから、「むこうの おやまの ふもとまで」と提案したのです。「むこうの おやまの ふもとまで」いったい何キロあるでしょうか。一、二キロじゃききません。遠距離なのです。うさぎは、己のことも相手のことも何も知らないまま、うかつにもこのかめの策略に乗ってしまいます。もしうさぎがこの策略を見抜いていたら、
むこうの おやまの ふもとまで/とは、そりゃ あんまりな/ほらすぐそこの ポストまで
とゴールの逆提案をしたはずです。うさぎは、あまりにも愚か過ぎました。案の定、レースが始まると、うさぎは文字通り脱兎の如く駆け出します。全力疾走したせいで、一キロも行き着かないうちに疲労困憊してばったりと倒れてしまったのです。うさぎは慢心し、油断して居眠りしたわけではありません。ですから、たとえかめが通り過ぎるとき一声かけたとしても、うさぎはもう立ち上がる気力さえ失っていたのです。私の解釈によりますと、これが真相なのです。「うさぎとかめ」の童話は、「努力にまさる才能なし」という一般に世間で知られている教訓的な話ではなく、本当は、孫子の兵法を子どもにわかりやすく説いた話だったのです。かめは「自分がのろいけれども遠くまで歩める」ことを知っていたのに、うさぎは「自分がはやいけれども短距離しか走れない」ことを知りませんでした。勝負は最初から明らかだったのです。
亀の歩みがのろいのはけっして否定的な意味ではないのです。
シンプル イズ ザ ベスト
スモール イズ ビューティフル
という言葉はよく知られています。私はこれに、
ショート イズ リファインド(洗練)
スロー イズ エレガント(優雅)
をつけ加えています。四(フォー)Sの人生訓です。