五三短律句事始め

はじめに

水に 月影が やどる

 この言葉は、道元の『正法眼蔵現成公案』の巻にある「人の悟りをうる、水に月のやどるがごとし」から取ったものです。悟りを月に、水をわれわれに喩えているのです。次に「月ぬれず、水やぶれず」と続きます。これは、悟りと人とが互いに妨げ合わない様子を示しています。もっと平たくいえば、悟っても別に何ら変わらない、もとのまま平常のままだということです。悟ってみれば、「柳は緑、花は紅」ということです。

 さらにこれに続く文は、「ひろくおほきなる光にてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天(みてん)も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる」です。月の光は夜空を満遍なく照らすほど広く大きいけれども、尺寸、つまり小さな水にやどるというのです。次の文はこれを具体的に表現したものです。全月は満月、弥天は満天のことで、月だけではなく無数の星々をも含む満天の空、これほど悟りの世界は広く大きいのです。それが草の露、一滴の水にも等しいわれわれ人間の一人ひとりに宿っていると言っているのです。

 夜空に輝く月の光はすがすがしく清らかです。一点の曇り(汚れ)もありません。その悟りが本来人にはみな誰にでも宿っていると言っているのです。人間捨てたものではありません。偉大なのです。残念ながら、それに気づいている人は誰もいません。

 前句では奢ってはならない謙虚であるべきだと詠いました。だからといって、自分を卑下してはなりません。自分にも本来清らかでまっさらな真の自己(月影)が宿されていると知るべきです。