五三短律句事始め

はじめに

捨てて 捨て切って さらに

 私は、現役のとき、心理臨床学、特に家族システム療法を専門にしていました。しかし、いわゆる心理臨床家育ちではありません。出自を辿れば、理論好きの生粋の実験屋でした。縁あって途中から臨床家に転向したので、臨床はまったく下手で成功例は一例もありません。何が成功なのかもよくわかっていません。悩みや問題を抱えてすがるような思いで来談された多くのクライエントや家族の方々には大変申し訳なく思っています。

 しかし、根が真面目な方なので、心理臨床学の理論や技法はとことん勉強しました。心理臨床には、現在起こっている問題を解決する対処療法とその基盤をなす生き方そのものを改善する根治療法とがあります。私の関心はもっぱら後者の方にありました。いずれにせよ、クライエントと面と向かう臨床現場では、生半可な理論や技法では通用しません。「現実は理論より奇なのです」。今まで身につけた知識や理論は捨てに捨ててまっさらな白紙に成り切ることが肝要です。セラピストのあり方、それ自体が問題なのです。   

 句の最後の「さらに」には、もっと捨てろという意味の他に、まっさらのさら、更地のさらという意味も含まれています。

 どれくらい捨てれるかでセラピストの力量が決まります。初心のセラピストは捨てるものが何もないので、習い覚え立ての一つの理論や技法にしがみつきます。でも、アタマだけで対処しようとしてもうまくいくはずはありません。まっさらな人間と人間同士の真の関係が心理臨床の大前提なのです。にもかかわらず、捨てて、捨てて、捨て切って、まっさらな自分になり切ることは、とても困難なことです。仏道修行はそれを目指しているのでしょう。しかし、心理臨床家もそれと無縁ではありえません。