私はどうでもいいささいなことにすぐとらわれて思い悩みます。
とくに、過去の出来事にとらわれます。後悔してもいまさらどうしようもないことなのに、思い出すたびに胸がズキンと痛むのです。
過去に とらわれて 悔やむ
何をくよくよ昨日(きのう)ばかりを思い悔やむのか。
過去の しがらみを 捨てる
ことができないのです。
また、「明日は明日の風が吹く」ので、何が起こるかわからないのに、明日のこともあれこれ気に病みます。
何をあくせく明日をのみ思い煩うのか。
明日を くよくよと 悩む
これが私の悪い性癖です。考えてもわからないことを考えるから、いつもわからずじまいで腹だけが膨れます。
私は、人生の最高の達人は、赤塚不二夫が創作したあの「天才バカボン」のお父さんだと思います。彼はたとえ太陽が西から昇って東へ沈むような天変地異が起こったとしても、「これでいいのだ」と人生を達観しています。そして、何が起ころうと、そのすべてを絶対肯定的に受容します。これぞカウンセリングの極意です。
細かいことにくよくよとらわれて思い悩む自分を顧みて、天才バカボンのお父さんのように「これでいいのだ」と生きれたらどんなにか生きやすいだろうと呟いたら、うちのカミさんが平然と「そんなこと、どうでもいいのだ」と言い放ちました。「考えてもわからないことは考えるな」。これがカミさんのいつもの言いぐさです。カミさんは私と正反対で小さなことには一切こだわらない、とてもおおらかな性格です。豪快な肝っ玉かあさんなのです。「そんなこと、どうでもいいのだ」というカミさんの一言を聞いて轄然(かつぜん)と悟りました。私は、まだいいとか悪いとかの二分思考にこだわっていたのか、と。道元も、『普勧坐禅儀』の本宗分で「善悪を思はず、是非を管(かん)すること莫(なか)れ」とまっさらな気持ちで坐ることを勧めています。そうなのです。たいていのことは「どうでもいい」のです。
とらわれないことにとらわれすぎるのも問題です。ものごとは、何ごとによらず、中庸が大切です。
とらわれるのでもなく とらわれないのでもない
我執を離れた 自由な心