若い頃の思い出は苦いものです。
何であのときあんな人を傷つけるようなことをしたのだろうか、今なら絶対しないのに、と思いながら、今でもきっと同じようなことをしているに違いありません。そして五年後十年後何であのときあんな人を傷つけるようなことをしたのだろうか、今なら絶対しないのにと悔やんでいることでしょう。人生の思い出は幾つになっても苦いものです。
私には、今でも思い出すたびに胸がズキンと痛む経験があります。私が大学教員に成り立てのまだ三十代の若いころの話です。休み時間によく学生たちとソフトボールに興じていました。私はいつもピッチャー。あるときのことです。一塁に身体障害で手足の不自由なA君が出塁していました。ご存じと思いますが、ソフトボールのルールでは、野球と違って、球が投手の手を離れるまで走者は足をベースにつけていなければなりません。ところが、彼は一塁と二塁の中間あたりに平然と立っているのです。私は何気なしに「A君、ベースから離れてはだめだよ」と声をかけ、一塁に戻しました
私の投げた次の一球は見事な弾丸ライナーでレフト前に打ち返されました。レフトはその球を拾うや否や矢のようなボールを二塁に送球しました。A君は、片足を引きずりながら、必死の形相で走っているのですが、如何せん、まだ先ほど立っていた中間点にも達していないのです。しまった、済まないことをした、と気づいたときはすでに後の祭りでした。友だち同士の間では、A君には障害があるのだから、ハンディとして離塁してもよい、という暗黙の了解があったのです。自分自身障害児の親でありながら、私はなぜルールをたてに彼を咎めだてしたのか、そのとき、私は自分で自分が許せませんでした。
それから随分年を経たある秋、学会の懇親会(立食パーティでした)で久しぶりにA君と再会しました。彼は、その時は某県の福祉関係で責任ある地位についていました。私はなつかしく歓談しながら、A君の皿に何度もご馳走を取ってやりました。実は、私にはあのときの贖罪の気持ちがあったのです。むろん、そんなこととは露知らず、彼は「先生にそんなことをしていただいて」としきりに恐縮していました。私にとって悔やんでも悔やみきれないあの出来事を、彼はもうとっくに忘れてくれているのでしょうか。