五三短律句事始め

はじめに

老いの 残日を 惜しむ

 虚子の句に

 

秋の日は濃いし
春も濃いかりしが

 

というのがあります。秋の日差しは春の日差しに比べると、おだやかで柔らかく、淡いなどの形容詞で表現できる感じです。ところが、実際に秋の日差しを燦燦(さんさん)と身に浴びて味わってみると、意外に日差しの濃いことに驚かされます。この虚子の句はおそらくそうした自分の体験と重ね合わせて詠ったものなのでしょう。

 人生の春が青春期ならば、秋は白秋期(初老期)です。若い者から見ると、どうも侘しい、寂しい、うら悲しい季節に感じられるのでしょうが、いざ自分が白秋期になってみると、その日差しは、青春期とは質的に異なってはいますが、同じかあるいはそれ以上に濃く、味わい深いものに感じられます。

 私はといえば、白秋期はもうとっくに過ぎ、今まさに玄冬期の真っ盛りにいます。しかし、冬の日差しを浴びてみると、

 

冬の日は濃いし
秋も濃いかりしが

 

という感じです。だから生きて行けるのでしょう。老いの日々を句にすれば、

 

今日も 恙なく 暮れた
日々が おだやかに 過ぎる

 

とても充実した日々を送っています。もうこれ以上年を取りたくはありませんが、だからといって、若返りしたくもありません。若い頃の自分を思い出すと、ぞっとします。二度と同じ人生を歩みたくはありません。そういう意味では、今が一番幸せなのかもしれません。老いのおだやかな日々もいいものです。