人生ご破算で願いましては

第二章 ゼロを深く豊かに

一、何者でもない無為の人「良寛」

 人格のネオテニー論の代表格として誰でもすぐ頭に浮かぶのは曹洞宗の禅僧・良寛でしょう。中野孝次は、良寛について、「幼児の如く無垢な心の持ち主」、あるいは「この人は、幼な子の心を持つ天成の詩人だった」と言っています。たしかに天成のものがあったでしょうが、それに厳しい修行によって磨きがかけられ、「人間が生まれたときの無垢の状態に戻った」、つまり、初期化されたのだ、と私は考えています。

 現代は良寛ブームです。良寛関連の本が多数出版されています。無が有を、ゼロが数を、無為が有為を意味づけるように、現代人は、自分とは対極の良寛を鏡として己の生き様を顧みる必要性を痛感しているからだといわれています。中野孝次もよほど良寛に心酔したとみえて、『良寛の呼ぶ声』(一九九五年)『、風の良寛』(二〇〇〇年)その他、幾度も良寛を取り上げて語っています。以下述べることは彼の良寛論をタネ本にしています。あらかじめお断りしておきます。

 通説によりますと、良寛は、一七五八年に越後・出雲崎の名家に長男として生まれました。幼名を栄蔵といいます。良寛が越後の出雲崎を離れて備中玉島の円通寺に入ったのは二十二歳(一七七九年)のときでした。そこで常人には到底及びもつかない孤独で厳しい修行に励み、三十三歳(一七九〇年)で師の国仙和尚から印可(師僧が弟子の悟りを証明すること)を受けています。その翌年に国仙和尚が他界したのを機に、円通寺を出て諸国行脚を行っています。その間の消息は杳(よう)として知られていません。数年を経て三十九歳(一七九六年)の頃、故郷の越後に戻り国上山(くがみやま)の五合庵に定住したと推定されています。この二十年近くの清貧に徹した修行の積み重ねが、良寛をして、自己只是自己(みずからがおのずからに在る)という境地に至らしめ、後に私たちが詩や書で知る純粋で無垢な良寛の人格を生み出したものと考えられます。

 越後に戻って来た良寛は、出ていった時の栄蔵とは別人になっていました。捨てに捨て、磨きに磨いて、いまや、〈空〉の人格の域に達していたのです。これこそ人格がネオテニー化した典型例といっていいでしょう。良寛の人柄を示すエピソードには事欠きません。そのうちのいくつかを紹介しておきます。いずれも良寛の本を読んだことのある人なら誰でもよく知っている逸話です。

「いつまでなりと」

 前述のとおり、円通寺を出てから越後に戻るまでの五年間の乞食放浪(こつじきほうろう)時代の消息についてはよく知られてはいませんが、その中で唯一の報告が近藤万丈の『寝ざめの友』に記録されています。

 まだ年若い万丈が四国土佐の国を旅していたときのことです。日も昏(く)れかかった頃、ひどい雨に会い、困り果てて山麓にあった粗末な庵に駆け込むと、中には色青白く痩せこけた僧がひとり炉ばたにいます。一夜の宿を求めると、僧は「ここには食い物もない、寒さを防ぐ寝具もない」と言います。そこを万丈は「雨さえ凌がしていただければ」と強(た)って泊めてもらいました。翌(あく)る朝も雨脚はいぜんとしてはげしく、とても出発できる状況にはありません。せめて小降りになるまで置いていただけないかとたのむと、僧は一言「いつまでなりと」。この一言は万丈を感動させたばかりでなく、これを聞く私たちの胸にもぐさりと響きます。この庵は今は仮に自分が住んでいるけれども、けっして自分のものではないという無所有の信念からおのずと出た言葉だからです。

 万丈の記録によりますと、僧は坐禅を組むでもなく、念仏を唱えるでもなく、何を語るでもなく、ただ微笑んでいるだけ。頭がおかしいのではないかと思ったほどでした。庵にはものらしいものは何一つなく、木仏が一つと小机の上に一冊『荘子』が置かれているだけでした。本には、僧のものと思われる古詩を書いた紙がはさんであり、万丈はその草書のみごとさに驚嘆しています。

 この僧が良寛だったのです。

「こんなんでよかったら、いつでも寄ってくだされや」

 越後に戻ってきてからの話です。秋の夕暮れ、遠くまで乞食(こつじき)して歩いているうちに川っぺりにある野中の一軒家にたどりついたことがありました。そこにちょうどその家の老爺が野良仕事から戻ってきて、「寄っておいでんかの」と旧知のように親しく声をかけました。良寛は誘われるまま、蒸したトウキビを肴に濁酒を酌み交わし、別れ際にその老爺が言うには「うちは貧乏でもてなしは何もできんけど、こんなんでよかったら、いつでも寄ってくだされや」。良寛はよほどうれしかったとみえてこのことを漢詩に詠んでいます。並ぶ者のないほどの教養人であった良寛が、そんなことは一切お構いなしに一介の無学の老農夫と同じレベルで親しく酒を酌み交わし世間話をする、なんとも微笑ましい逸話です。農民からこよなく慕われていた様子が窺われます。こういうことはよくあったみたいで、同工異曲の詩が他にもいくつかあります。

ただそこにいるだけ

 越後の裕福な地主で良寛を敬愛してやまなかった解良栄重(けらよししげ)の『良寛禅師奇話』にこんな話が残されています。

 良寛はよく解良家に滞在していたらしいのですが、良寛が家にいるだけで、家中に和気が充ち、一夕話を聞いてもらうだけで胸が何とも言えず清々しい気持ちになるのです。良寛が何かをしたり言ったりしたからというわけではありません。経文を説くでもなく、善行を行いなさいと説教がましいことを言うでもなく、詩や古典の話をするでもありません。ただ、台所でかまどの火をたいたり、奥座敷で坐禅したりするだけです。いるのやらいないのやらただ無為の人としてそこにいるだけです。にもかかわらず、優游(ゆうゆう)として名状しがたい良寛の高潔な人柄が家人に大きな影響を及ぼし、家中を和やかにするのです。

 良寛の無為とは、無限に通じる無為でした。

毬つき良寛

 しかし、何と言っても私たちの頭に一番強く印象づけられているのは「毬つき良寛」のイメージです。前述の解良栄重(けらよししげ)の『良寛禅師奇話』には、こんな記述もあります。

 

「手マリヲツキ、ハジキヲシ、若菜ヲ摘、里ノ子供トトモニ群レテ遊ブ」。

 

 良寛が、黒染めの衣をひるがえしなから、まるで幼児のように無心に子どもたちと遊び戯れている光景が目に浮かぶようです。

 良寛は毬つきに託して多くの詩を詠んでいます。次の詩はよく引用される代表的なものです。

 

霞立つながき春日(はるひ)を子供らと
手毬つきつつこの日暮らしつ

 

子供らと手まりつきつつこの里に
遊ぶ春日(はるひ)は暮れずともよし

 

 中野孝次は、「幼児の如く無垢な心の持ち主でなければこうはいかない(このような歌は詠めない)」と感嘆しています。春が来たよろこびに心をはずませて、子どもらに誘われるまま、吾を忘れ托鉢も忘れて、ただ、ひふみよいむなやと繰返しながら毬つきに興じます。良寛にとって、それは坐禅や読経とまったく同じ仏道の行持になっているのです。

 でも、村人の中には、「何に因(よ)って其(そ)れ斯(か)くの如きと」、つまり、いい年をしたおとなが、僧らしいことは何一つせずに、毬つきみたいなたわいないことをして遊び呆けているとは何事か、と苦々しく思う人もいました。そういう非難に対して、良寛は一言も弁解せず、ただ頭(こうべ)を垂れるだけです。そして、「元来、ただ、これ是(これ)のみ」と心でつぶやきます。何をどう言おうと、わからない人にはわかってもらえないのだから、言葉にしても仕方がない、という思いが強かったのでしょう。それでも真意が知りたいと言うなら、「ただ、見たまま、ご覧のとおりのことです」としか言いようはなかったのです。このことを良寛は漢詩に詠っています。その最後の締めの言葉が「元来、ただ、これ是のみ」です。この言葉が良寛の遊びに深い宗教的な意味を与えています。

 良寛のすごいところは、このような幼子の遊びが七十歳を過ぎても衰えることなく続いていることです。最晩年の貞心尼との出会いはそのことをよく物語っています。良寛七十歳(享年七十四歳)、貞心尼三十歳のときのことでした。

 良寛に心酔していた貞心尼が

 

うたやよまむ手毬やつかむ野にや出む
君がまにまになして遊ばむ

 

と詠んで遊びに誘ったのに対して、良寛の返歌はこうです。

 

うたもよまむ手毬もつかむ野にも出む
心ひとつを定めかねつも

 

 上句はまったく貞心尼のをそのまま受けています。二人の遊びは、歌をよむこと、毬をつくこと、野に出て花をつむこと、などです。良寛という人は老齢になってもなおこのような遊びのできる人だったのです。まさに人格のネオテニーそのものです。

永劫回帰

 貞心尼が仏道の教えを請うてはじめて良寛を訪れ、「師はいつも手まりをついて遊ばれていると聞いていますので、お尋ねします」と前置きして、「それはそのまま仏の道を楽しむことで、そこにはついてもついても尽きることのない真理があるのでしょう」と歌で詠みます。

 

これぞこの仏の道に遊びつつ
つくや尽きせぬ御法(みのり)なるらむ

 

それに対する良寛の返歌があの有名な歌です。

 

つきてみよひふみよいむなやここのとを
とをとおさめてまたはじまるを

 

 そんなに理屈っぽく頭で理解しないで、とにかくついてごらんなさい。一、二、三、四、と十まで数えるとまた一からはじまりますから、と仏道は体で修練するものだと諭しています。「利休道歌」にこれとよく似た歌があります。

 

けいことは 一より習い 十を知り
十よりかえる もとのその一

 

 これは和歌の形を借りて、千利休が茶道の心得を教えたものですが、良寛の歌は、仏道の教えを毬つきに託して詠んだものです。一から十までを繰り返すのは、坐禅の修養法の一つである数息観(すそくかん)を意味していると解釈されることもあります。静かにゆっくり呼吸しながら、そこに意識を集中して吐く息、吸う息を一つとして、ひとーつ、ふたーつ、と数えてとーおまでくると、またもとの一に戻ってひとーつ、ふたーつと何度も繰り返します。一〇はとても象徴的で一と〇が組み合わされています。数息観で一〇からもとの一に戻るとき、一〇は〇でもあるのです。

 坐禅の数息観もそうですが、一から始まって十に至り、また元の一に戻る、この同じことの繰り返しが生きるということに他なりません。生きてある限り、ただこの一回一回、一日一日の完結した今がごろごろと永遠に転がっていくだけのことで、そこには、進歩も何もない、と中野孝次は説明しています。

 まるで、ニーチェの「永劫回帰説」を読むようです。世界の一切はただ永遠に、意味もなくぐるぐると回り続けている、という世界観です。人生は無意味で目的もなく、生きるに価しないというニヒリズムの思想はニーチェを源流としています。人は生まれたくて生まれたわけでも、死にたくて死ぬわけでもありません。人生はまったく理不尽なものです。ただ生れたから死ぬまで生きつづけるだけのことです。

 渋谷治美の『逆説のニヒリズム』では「人は根拠なく生まれ、意義なく死んでいく」のであり、それゆえ人は「何をするのも許されるが、何をやっても無駄な存在」であるといいます。最後はすべて滅んでしまい、結局は何をやっても無駄でゼロになるというこの考えは、「掛けるゼロのニヒリズム」と呼ばれています。

 諸富祥彦は、ニーチェを紹介する中で、人生にはもともと「意味」などありはしないのに、あたかもあるかのように思い違いするのは、そう思わないでは生きていけない人間の弱さが捏造した虚にすぎない、という趣旨のことを述べています。幻影に過ぎない人生の意味を過剰に求めることから意味喪失感に悩まされることになるのです。私がまったくそうでした。そういうことにとらわれないで、人生には求めるべき何もないとゼロ地点から出発した方が、人は自由で気楽に生きられるのかもしれません。

 問題は、意味なくどこまでも同じ事が繰り返される一日一日を、どうしたら絶望することなく、空虚感や虚無感を募らせないで生活していくことができるか、このような自分の人生を肯定的に引き受けることができるか、ということです。

 ニーチェの答えはこうです。「たった一度でもいい、人生の中で心の底から震えるような「至福の瞬間」を味わうことができれば、たとえ一切が無意味なくり返しでしかなかったとしても、私たちはそのすべてを肯定することができるはずだ」(諸富祥彦)。無意味な永遠の繰り返しのすべては「たった一度のこの至福の瞬間」のためにあったのだ、と考えるのです。

 では、ニーチェをして、このような答えを引き出させた「至福の体験」とはいったい何だったのでしょうか。ニーチェが恋いこがれていたザロメという聡明な女性との一度の散歩だった、といいます。なにか良寛の貞心尼との出会いを彷彿とさせます。それは良寛にとって、最晩年の一瞬の華やぎでした。ニーチェの「至福の瞬間」というのは仏教でいえば「悟りの境地」に近いのかもしれません。

 でも、二人の間には決定的な彼我の差があるように思います。ニーチェの永劫回帰説は「一瞬の至福体験」のためという条件つきです。永劫回帰と至福体験が二項対立的に別々のものとして措定されています。それに対して、良寛の場合は、同じ繰り返しであっても、無条件にそれを受け入れ無意味を生きることに徹するのです。国仙和尚が良寛に与えた印可の偈(げ)に「良や愚の如し道転(うた)た寛(ひろ)し・・・誰か見るを得ん(良寛は一見愚者のようであるが、その道心は大海のように広く深く、誰がよくそれを見うるであろうか)」(中野孝次)と記されています。良寛は愚直に無になりきって、無意味を淡々と生きつづけることによってゼロの地平へと突き抜けたのだと思います。中野孝次は、たとえば、「良寛の生は有ではなく無の上に立つ。ゼロがその生きる場である」というように、良寛の生き方をしばしば無とゼロの言葉で表現しています。そこで、良寛の人となりの特徴をゼロの加減乗除の四則演算を枠組みとしてまとめておきましょう。

ゼロの四則演算で見た良寛の生き方

 Xは、世俗で価値の置かれる地位、名誉、財産、その他諸々のもの・ことを表わしています。

 

①X―X=0 これは良寛の第一の特徴が捨てる人であることを公式化したものです。良寛は越後・出雲崎の名家の跡取り息子として生まれながら、地位も名誉も財産も捨て、すべてを無化して出家したのです。今日生きる糧以外のものは一切身につけず、もし余分なものが生ずれば、もっと貧しい乞食にやるか、鳥や獣に分け与えてしまって、あえて無、ゼロの状態に戻るのが良寛の生き方でした。当時の第一級の知識人でありながら、その知識も捨て、自分は何一つ知らない愚者であるという自覚をもって生きたのです。そこにあるのは引き算だけで足し算はないのです。

 道元の「学道の人は先須く貧なるべし」の教えを生涯愚直に守り通した良寛自身、「僧伽(そうぎゃ)は清貧を可とする」と詩に詠んでいます。徹底して身をゼロの地点に置き、極限まで生を単純化することが、真の自己へ至る道と心得ていたのです。これ以外に、自己只是自己(みずからがおのずからに在る)を知る「己事究明」の道はないと覚悟したのです。

②X±0=X これは良寛が無為の人であることを公式化したものです。自らの行為によってなにものも加えないし何ものも減ずることはありません。また、他の人に何かしようとする「はからい」もなく、また他の人に何一つ求めることもありませんでした。ただ、あるものをあるがままにあらしめるだけです。解良家(けらけ)や村の人びとがそうであったように、彼がそこにいるだけでまわりの人をその人としてあらしめるのです。

 彼は外から働きかけても人は変えられないことを十分承知していました。ですから、他人に知識をひけらかして説教するようなおこがましいことは一切しませんでした。これが良寛の生き方の第二の特徴です。

③X×0=0 これは世俗的な意味で良寛が何者でもないことを公式化したものです。僧か?いや僧ではありません。詩人か?いや詩人でもありません。書家か?いや書家でもありません。そういったものを一切なりわいとせず、ただ乞食(こつじき)草庵暮らしに徹しているのです。ただの裸の人でした。良寛は自らを「非俗非沙門(俗に非ず沙門に非ず)」と漢詩に詠んでいます。親鸞の「非僧非俗」が頭にあったのかもしれません。

 この公式は、前述のニーチェ流の「掛けるゼロのニヒリズム」を表現したものではありません。人生の意味の有無を超越して、ただ一でも二でも三でもないゼロの何者でもない在り方に安んじていることを表わしているだけです。良寛は、どういう状況であれ、つねに自分の状態をゼロに保つように生涯かけて修行を重ねていたのです。

④X÷0=∞ これは良寛がゼロ即無限(無一物中無尽蔵)の体現者であることを公式化したものです。ゼロ(無一物)という始源の位置にあればこそ、そこから汲めども尽き果てることのない無限に感性ゆたかなものが泉のように湧き出てくるのです。それがあれほどの詩や歌、書となって世に残されたのです。良寛は、僧でも詩人でも書家でもないからして、それらすべてを超越したゼロ即無限の存在になることができ、僧以上の僧、詩人以上の詩人、書家以上の書家でありえたのです。

 またそれは、赤子のように純粋無垢で、しかも何人といえども到達することのできない気高い人柄としても現れていました。無為の人でありながら、里の子や村人の心を引きつけてやまなかったのはそのせいです。

 良寛は「ゼロを深く豊かに」生きた人でした。

心のパラドックス

 捨てに捨て、磨きに磨いて何もない透明なゼロの状態に近づくほど、心がゆたかになるという、この逆説的な真実を、中野孝次は「心というものの謎めいたパラドックス」と表現し、良寛はこの人間の本性に関わる不思議を知って、実践したのだと言っています。

 彼の詩や歌には、冬の厳しさとともに春の到来のよろこびを素直に詠ったものがたくさんあります。

 

飯乞(いいこ)ふとわが来(こ)しかども春の野に
菫(すみれ)摘(つ)みつつ時を経にけり

霞(かすみ)立(た)つ永き春日(はるひ)に鶯(うぐいす)の
鳴く声きけば心は和(な)ぎぬ

 春に浮かれて仕事も忘れ菫摘みに夢中になったり、ただ鶯の鳴く声を聴くという何でもない事に心が和んでいます。ただそれだけのなんとも素直な歌です。良寛の人柄に春風のような穏やかさを感じるのは私だけではないでしょう。良寛は無の人であったればこそ、有のありがたさを身をもって知ることができたのです。仏教ではよく「少欲知足」という言葉を使いますが、良寛の場合、さらに徹底して「無欲満足」と言った方がよいのかもしれません。良寛の言葉です。「欲なければ一切足(た)り、求むる有りて万事窮(きゅう)す」。これと通じる心境を齢(よわい)三十歳で夭折(ようせつ)した宗教詩人・八木重吉は、

 

ものを欲しいとおもわなければ
こんなにもおだやかなこころになれるのか
うつろのように考えておったのに
このきもちをすこし味わってみると
ここから歩きだしてこそたしかだとおもわれる
なんとなく心のそこからはりあいのあるきもちである

 

と詠っています。良寛と重吉の二人の詩には、満ち足りたおだやかな気持ちが響き合っています。心の満足とは欲望を捨てたところにしかないのですね。

 良寛とはまったく逆の心のパラドックスをイスラエルの王ソロモンにみることができます。旧約聖書のコヘレトの言葉です。

コヘレトの言葉空の空、空の空、一切は空である

 聖書を読んでいたら、旧約聖書の「伝道の書」に「空(くう)」の文字がでてくるではありませんか。仏教の「空」の概念にはもともと深い思い入れがありましたので、これに目がくぎ付になったのです。

 しかも、「伝導の書」の冒頭に「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である(一:二)」とあるのです。これは、般若心経の出だしの「観自在菩薩・・・照見五蘊皆空(観音さまは・・・体や心で起こるこの世のすべての現象の本質は空であるという真理を悟られた)」とまったく同じことを言っているのではないか、と早とちりしたのです。仏教には、「空も空なり」という言い方があります。

 でも、次に続く言葉を読んで自分の誤解に気づきました。般若心経では、「度一切苦厄(一切の苦しみや厄(わざわ)いを超えられた)」と続くのに、「伝道の書」には、「日の下(この世)で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか(一:三)。・・・わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕らえるようである(一:一四)」と書かれているのです。「伝導の書」の空の英訳語はvanityで、「空(むな)しい」という意味ですし、さらにそれを重ねた「空の空」は、ヘブライ語で「ヘベルハベリーム」と発音され、もはやこれ以上ない最上級の空しさの表現です。「この世のすべては何もかもまったく空しい」と言っているのです。

 仏教のいう「空」には「空しい」という意味はありません。縁起の別の謂いで、そのような情緒的心情とは無関係です。「空」を悟れば、空しさを含むあらゆる苦悩が超えられるという説です。すべてが空、つまり縁起で起こるものならば、とらわれようも執着のしようもないし、執着しなければ苦悩の起こりようがないからです。

 空の言葉に引きずられてさらに読み続けていると、この書に書かれていることは、前節の良寛とは正反対の「心のパラドックス」の内容でした。それで、良寛を補足するために少し詳しく取り上げてみることにしました。

 「伝導の書」は、ダビデの子でイスラエルの王ソロモンが晩年に書いたとても厭世的な教訓書です。聖書のなかでも異端の書とされています。ソロモンは、紀元前十世紀頃の人で、神から比類のない知恵を授けられ、賢者と讃(たた)えられていました。彼自身「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての王にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た。」(一:一六)と述べています。彼は伝道者(コヘレト)でしたので、「コレヘトの言葉」とも呼ばれています。

 この書は、

伝道者は言う、
「空(くう)の空(くう)、空(くう)の空(くう)、いっさいは空(くう)である。」(一:二)

ではじまり、

伝道者は言う、
「空の空、いっさいは空である。」(一二:八)で結ばれています。

 その間の本文中では、自分の人生を振り返ったソロモンの老境の心情が、具体的な事例を列挙して語られています。これは彼が人生に秘められた真の意義について熟考して得た生き方の極意でもあります。「そのことになんの益があるか」、だから「それは空である」といった論調で全編が貫かれており、あたかも「掛けるゼロのニヒリズム」を読んでいるかのようです。たとえば、次のように。

そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか(二:二二)。
 そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である(二:二三)。

 それにしても、イスラエルの王として栄華を極めたソロモンが、第一声からいきなり「空しい、空しい、何もかもまったく空しい」とは何たることでしょう。無一物の良寛の生き方に比べて、さすがソロモンの人生は豪勢です。でも、自分のなしたことがすべて「空」だと断じるのです。彼はこう綴っています。

 わたしは大きな事業をした。わたしは自分のために家を建て、ぶどう畑を設け(二:四)、園と庭をつくり、またすべての実のなる木をそこに植え(二:五)、池をつくって、木のおい茂る林に、そこから水を注がせた(二:六)。わたしは男女の奴隷を買った。またわたしの家で生れた奴隷を持っていた。わたしはまた、わたしより先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊の財産を持っていた(二:七)。わたしはまた銀と金を集め、王たちと国々の財産を集めた。またわたしは歌うたう男、歌うたう女を得た。また人の子の楽しみとするそばめを多く得た(二:八)。
 こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった(二:九)。・・・これはわたしのすべての労苦によって得た報いであった(二:一〇)。
 そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕らえるようなものであった。日の下には益となるものはないのである(二:一一)。

 その他、全編を通じてソロモンは、いわゆる世間的な価値とみなされるものを否定するとともに、この世の許し難い不条理や不合理を歎いています。

【富もまた空】

 金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である(五:一〇)。

 わたしは日の下に悲しむべき悪のあるのを見た。すなわち、富はこれをたくわえるその持ち主に害を及ぼすことである(五:一三)。またその富は不幸な出来事によってうせ行くことである。それで、その人が子をもうけても、彼の手には何も残らない(五:一四)。彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない(五:一五)。人は全くその来たように、また去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者になんの益があるか(五:一六)。人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、憤りのなかにある(五:一七)。

【知者の歎き】

 わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕らえるようなものであると悟った(一:一七)。それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである(一:一八)。

 わたしは心に言った。「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った。「これもまた空である」と(二:一五)。そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう(二:一六)。そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕らえるようである(二:一七)。

【報いの不公平】

 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある(七:一五)。あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか(七:一六)。悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない。あなたはどうして、自分の時のこないのに、死んでよかろうか(七:一七)。

【同じく臨む不条理】

 地の上に空(くう)な事が行われている。すなわち、義人であって、悪人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。また、悪人であって、義人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。わたしは言った。これもまた空であると(八:一四)。

 すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない(九:二)。

【元に戻ってなにも変わらない】

 世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変わらない(一:四)。

 日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く(一:五)。

 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりめぐって、またそのめぐる所に帰る(一:六)。

 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所に帰って行く(一:七)。

 すべての事は人をうみ疲れさせる・・・(一:八)。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない(一:九)。

 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る(一二:七)。

 伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と(一二:八)。

 最後の二行が結びの言葉になっています。引用が冗長にすぎましたが、このように「伝導の書」は厭世色の強い書であることがおわかりいただけたと思います。

 私は聖書についてはまったく無知ですので、解釈は控えますが、ただ、「空である」という言葉の前後には、しばしば「日の下で」の前置きがついています。ということは、この書の大前提は、「日の下でない」世界が想定されているということです。文章としては書かれていませんが、このことが暗黙のうちに仮定されていると読んで間違いないでしょう。この世は不合理で不条理で納得できない事だらけではあるけれども、それは「日の下のこと」であって、「日の下でない」世界の話ではない、という諭しだったのです。そこで最後の数行の締めくくりは必然的にこうなります。

神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である(一二:一三)。
神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである(一二:一四)。

 「この世のいっさいは空しい」と断じに断じて、だから、この空しさから逃れるためには、神に身を委ねる以外にない、と最後の土壇場で見事にどんでん返しされています。これによって、瞬時に「空しさ」が無化され、いわば、リセット・ワードが押されているのです。このことを言わんがために、空について論を尽くしたのでした。この言葉は、天地創造の神ヤーウェに対するソロモンの厚い信仰の表明です。

 二十九歳で出家するまでの、後のブッダ(釈迦)の状況もソロモンと似ています。小国とはいえ王子としてなに不自由ない満ち足りた生活を送っていたことが、青年期の多感なブッダに強烈な実存不安を芽生えさせました。しかし、ソロモンとは違って、神に救済を求めるのではなく、ブッダは自分の心の奥底をとことん見つめ、そこに苦の正体を見極めることで、苦悩から解放される自己救済の道を探求しました。なだいなだ(手塚治虫『ブッダ』に寄せた解説)によりますと、ブッダの悟りを得る過程は、彼の実存不安を克服する過程でした。ブッダは人類最初の精神療法家であり、かつまた最初の自分の実存神経症患者だったといいます。

 コヘレトの言葉で思い出されるのが「あなたの中の最良のものを」で述べられているマザー・テレサの言葉です。

 

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

 

あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善をおこないなさい

 

目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

 

善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

 

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

 

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

 

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

 

あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

 

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

(石川康輔訳)

 ここで、与え続ける最良のものとは、最初に戻って「人を愛する」ということでしょう。このマザー・テレサの言葉は、「伝導の書」の言葉とよく似ています。ただし、前の句となる言葉を受けて、「伝導の書」では、だから「何をやっても空しい」とくるところを、マザー・テレサは、でも「気にすることなく、やり続けなさい」と言います。とうていできることではありませんが、強い信仰に裏づけされてのことです。マザー・テレサは、考えることは神がしてくれると信じていました。「自分は神の思し召しのままに、ただ道具として行動しているだけ、だから結果は気にしません(結果も神の思し召し)」と語っています。だからでしょう。コルカタの道路に行き倒れている人の最後を看取るための「死を待つ人の家」を作って、①体をきれいに洗ってやり、②粗末だけれど清潔な着物を着せ、③温かいスープを飲ませ、そして④優しく語りかけます。「あなたも、私たちと同じように神に望まれてこの世に生れてきた大切な人なんですよ」。こうして最後に、人間としての尊厳をもって旅立たせてやるのです。その他、ゴミ箱に捨てられた赤ん坊を拾って育てる「子どもの家」やハンセン病患者のための「平和の村」などのいくつもの大変な事業を、たじろぐことなくやり遂げることができたのもキリストへの厚い信仰のなせるわざでした。

 ちょっと遊び過ぎました。話は良寛の「心のパラドックス」との関連でソロモンの「伝導の書」を読むことでした。賢者ソロモンはイスラエルの王として国を支配していたのですから、孤独な乞食(こつじき)僧の良寛とは異なって、権力も政治力もあり、成熟した人格の持ち主であったに違いありません。

 良寛も、ソロモンほどではなかったにしろ、地方の名家の跡取りとして生れたのですから、そのままであれば名声も富も生活の安定も保障されていたはずです。それなのに、それらをすべて捨てて出家したのです。良寛の「心のパラドックス」は、捨てに捨て、何もない透明なゼロの状態になったところで、無限のゆたかさがひらけるというものでした。それに対してソロモンの場合、地位も名誉も権力も財産もそして女も、この世で手に入るものはすべて手に入れ、贅の限りを尽くしたあげく、晩年に到達した心境は、ただ「空しい」という虚無感だけでした。これは、良寛とはまったく逆の「心のパラドックス」です。同じ「心のパラドックス」の話ですが、一方は「捨てに捨ててゼロに近づくほど心は豊かになる」と、他方は「得れば得るほど心は空しくなる」という真反対のパラドックスでした。

 人格のネオテニー論で良寛について考えていたら、ある時ふと、みすずとみつをが一緒に頭に浮かびました。金子みすゞと相田みつをのことです。むろん二人のことはこれまでも本でよく知っていました。

 いつもの行きつけの書店にいつものようにぶらりと立ち寄ったことがありました。別に買いたい本があったわけではありません。店内を何気なくぶらついていたら、何と同じ書架の上の段にみすゞコーナーがあり、そのすぐ下にみつをコーナーがあるではありませんか。奇しきえにしにえっと驚いたことがありました。今までもそうだったに違いなかったはずなのに、その時まで気がつきませんでした。これも何かの縁と、つい買わないでいい二人の本を衝動買いしてしまいました。