人生ご破算で願いましては

第五章 ゼロと空とは双子の従兄弟

二、存在の根拠

 数はゼロを、また存在は無を前提として成り立っているという見方を空観といいます。

 一、二、三、・・・の数は有の数ですが、ゼロは無の数です。この無の数は数学的に、「何もない(nothing)」ということにとどまらず、「何もない」ことが「何かある(something)」ことを背後から支えています。「一つ有る」ということは、「一つも無い」ことを前提にしています。二つについても三つについても同じです。無が有を根拠づけているのです。ふつう、一とか二とかといった有の現象に気を取られて、一切の数を成り立たせているその大本のゼロや無は意識されません。でも、ゼロが数体系の依止となってすべての個々の数をその数たらしめているということは明確に自覚されるべきです。逆に、一、二、三・・・などの数なしにゼロだけを単独に考えても無意味です。すべての数は互いにつながりあって意味構成されているのです。その中核をなすのがゼロです。

デカルト座標
(チャールズ・サイフェ『異端の数ゼロ』より)

 分かりやすい例として、二次元の座標系を考えてみましょう。横軸(X軸)と縦軸(Y軸)の交点がゼロ点(原点)です。そしてX軸とY軸には、1,2,3,・・・と一系列の数が刻まれています。理論的にそれは無限です。ですから、座標系はゼロと無限で構成されているのです。原点のゼロは、この無限な数系列をその根源のところで支えているのであって、この支点が存在しなければ、そもそもX軸もY軸も成立しえなくなるような決定的な点なのです。

 この図に示すように(4,2)という点のベクトルは、ゼロ点からの方向と距離を表しています。いくら点だけがあっても、ゼロ点がなければ何の意味もありません。諸点の位置はゼロ点を原点とする座標系によって決まります。あらゆる数はゼロを前提にして成立しているのです。

 存在についてもまったく同じことがいえます。あらゆる存在は無を前提にしています。存在は、「現にある、と同時に別様にもあり得る」という可能性を基盤として成り立っています。夕食の後に果物のデザートが出るとします。出る前はまだ何にもありません。無の状態です。しばらく待つとリンゴのデザートが出てきます。今、目の前の皿にリンゴが盛りつけられています。でも可能性としては別にリンゴでなくても、メロンでもミカンでもナシでもその他何でもありえたのです。しかし、現に今、リンゴがあるというのが事実です。この事実はとても重いものです。「現にある、ということは、別様にはあり得ていない」ということです。「現にある」という事実は別様の可能性がゼロであるということを意味しています。あらゆる存在が無を背景として成立している、とはそういうこととです。