人生ご破算で願いましては

第三章 歩行(ほぎょう)が人間を仏にする

三、一歩一歩、一句一句

 現在は山頭火ブームですので、彼に関する本は夥しく出版されています。その中の数冊を読んだだけの知識ですみません。彼は四十歳を過ぎて熊本で出家得度した曹洞宗の禅僧です。大正十五年四月、四十四歳のとき、若くして自殺した母の位牌を抱いて、解くすべもない惑いを背負いつつ行乞流転の旅に出ました。あの有名な

 

分け入っても分け入っても青い山

 

の句はその旅の最初の句です。彼は、いつどこで野垂れ死にするかわからない行乞放浪の一人旅を、「業だ、カルマだ」と自分に言い聞かせながら、一笠一杖、一鉢を手にひたすら歩きつづけています。世に処するすべを知らない彼にはこうする他に生きる道はなかったのです。彼の句の代表作の一つ

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

 

では、どうしようもない孤独の淋しさが詠嘆されています。山頭火ファンなら誰でもそうでしょうが、自分の姿と重ね合わせて心の琴線に触れる私の好きな句の一つです。

 

炎天をいただいて乞ひ歩く

 

この行乞の一歩一歩の歩みからあの珠玉の一句一句が生まれたのです。「歩く」ことを詠んだ句が多いのは当然といえば当然のことでしょう。

 

どうしようもないわたしが歩いてゐる
風の中おのれを責めつつ歩く
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
しぐるる土をふみしめてゆく
泊めてくれない村のしぐれを歩く
歩きつづける彼岸花咲きつづける
木の芽草の芽あるきつづける
笠にとんぼをとまらせてあるく
ふるさと恋しいぬかるみをあるく
雨ふるふるさとははだしであるく
もりもりもりあがる雲へ歩む
だまって今日の草鞋穿く

 

 冒頭に挙げた「分け入っても」の句も、同じ言葉を重ねることによって、山ふかく歩み入る山頭火の姿を彷彿とさせるので、これらの句に含めてもいいのかもしれません。次の「うしろすがた」についても同じです。ただ、「歩く」句を列挙しただけでは味も素っ気もなく、それぞれの句のもつ深い味わいを汲み尽くすことはできません。でもそれがここでの目的ではありませんので、それについては他の成書に譲ります。

 

どうしようもないわたしが歩いてゐる

 

の句を私はどうしても

 

濁れる水の流れつつ澄む

 

と重ねて読んでしまいます。「濁れる水」が「どうしようもない私」、「流れつつ」が「歩いてゐる」と重なるのです。放浪しながら行くあてもなく歩きつづけた果てに、心が澄んだのでしょうか。山頭火は、一方では子どものような純粋無垢の澄んだ心を持っていた半面、他方では禅僧でありながら酒に溺れ女につまずくどうしようもない愚かな破戒僧でした。どろどろと濁った泥沼のような面を持ち合わせていたのです。家族は言うに及ばず親しい知人友人、支援者に迷惑をかけないでは生活できなかったのです。「澄む水の流れつつ濁る」ことの多い人生で、おそらく生涯「濁れるままに、澄むこともなく」ただ放浪しつづけざるをえなかったのでしょう。このことは本人自身も十分自覚しており、自責の念に苦悩しています。だから、

 

風の中おのれを責めつつ歩く

 

ことになるのです。人生の最後まで澄と濁、迷と悟の両極端を幅広く流動したのが山頭火の生き方の特徴だったといわれています。彼は、「歩かない日はさみしい。この蝉と同じように私も泣きながら一生歩いてゆくのだ」と言い残しています。でも、いくら歩いても読経しても、樹下に独坐しても惑いを解くことが叶わず、どうしようもない自分をもてあまし、責め、そして歎くしかなかったのです。

 

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ

 

と煩悩を捨てきれない、山頭火のただ歩く、その一歩一歩は己の苦悩を捨断しようともがく一歩であり、まさに歩行禅と呼ぶべきものだったのではないでしょうか。彼は、『般若心経』『観音経』『修証義』などのお経を唱えながらひたすら歩き、禅僧として歩々日々修行の道に励んでいたのです。「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」。彼がこよなく愛していた言葉です。

 歩行禅では、一歩一歩歩くことがすなわち修行であって歩いたその先に悟りがあるというのではなく、歩きつづけるその事自体が悟りのただ中にある、ということです。「歩歩是道場」の歩歩とは、人生の歩みのことです。それはそのまま毎日の日常生活の歩み、すなわち目の前の当たり前のことを当たり前に淡々と行いつづけることです。禅堂に静かに坐って修行することが性に合わなかった彼は、行乞して歩くことによって俳句と禅の道を歩々日々修行していたのです。

 道元の『修証義』の冒頭に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし」という有名な一節があります。山頭火は、迷いつつ溺れつつも、曹洞宗の僧として生死の一大事の問題と取り組み、その道すがらこの一節に触発されて次の句を詠みました。

 

生死の中の雪ふりしきる

 

 これは、出家後、最初の四国遍路めぐりで修証義を唱えながら托鉢して歩いていた時に浮かんだ句です。自己の中に仏を見出すことができるならば、生死を超えることができるものを、それもならず、生も死も明らめることがでない迷いの最中(さなか)、降りしきる雪のなかをとぼとぼと歩いている自分を歎きつつ詠ったものだといわれています。

 山頭火研究の第一人者である村上護によりますと、山頭火の心境も最後はかなり澄んだ気持ちになった、ということです。仏教的な空の世界に落ち着く外ないと思い至ったのです。親しい俳句仲間への便りの中で「句は空なり、句不異空」という言葉を使っていますし、また日記には「一句は一句だけの身心脱落である」とも書いています。山頭火にとって、禅で言う一歩は一歩の身心脱落であり、一句は一句の脱落身心であったのではあるまいか、そしてここで禅僧としての耕畝と、俳人としての山頭火の道が一つにとけ合っていると言ってよいのではないか、と村上護は解釈しています。

閑話休題七空としての水晶

 また、話が飛びます。私は、宝石の中でもっとも「空」を象徴しているのは無色透明でまん丸い水晶の玉ではないか、と考えています。いうまでもなく、道元の「一顆明珠」の世界観が背景にあります。これは、全世界(宇宙)はただ一つの明るく透明な光り輝く珠である、という見方です。すべてのもの・ことはつながり合って一つの世界を成し、それが透明な明るい珠に譬えられるのです。ですから、一顆明珠は「空」の別の謂いであると解釈されています。この明珠が具体物として水晶の玉に具現されていると思うのです。水晶の玉は、何にもないのに透かして見ると向こうの世界がそのまま映し出されています。方向を変えると、元の世界はきれいさっぱり消えて、今の新しい世界が現われます。ぜんぜん後を残しません。ですから、壁に向かって坐禅するとき、水晶の玉を前にして半眼で眺めるともなく眺めながら瞑想しています。また、日頃放っておくとすぐに善からぬ妄想妄念に心が濁りますので、

 

水晶の空の輝き明珠澄む

 

と念じながら、小さな水晶の玉を十八個数珠つなぎした念珠を自戒の意味を込めて腕に着けています。私もこの玉のように清らかで澄んだ心でありたいといつも願ってはいるのですが。

 坂村真民に露を詠んだ詩がいくつかあります。その一つがそのものずばりの「露」です。

 

露が
教えてくれたもの
まるいものがいい
すきとおったものがいい
かすかなものがいい
じぶんをもとうとしないものがいい

 

また、彼は「つゆくさのつゆが光るとき」の詩で露に曼荼羅を見ています。その冒頭にこういう言葉があります。

 

つゆくさののつゆが曼荼羅のように
朝日に光るとき
生きていることの喜びを
しみじみと感じる
・・・・・・

 

「つゆのごとくに」では、

 

・・・・・・・
かなしみも
くるしみも
きよめまろめて
ころころと
ころがしゆかん
さらさらと
おとしてゆかん
いものはの
つゆのごとくに

 

「ねがい」では、

 

いつかは
その日がくる
その日のために
一切は生きているのだ
・・・・・・
それゆえ
その日は
つゆくさのつゆのように
うつくしくかがやきたい

 

真民がいかに露に思い入れが深いかを示すために、引用が多くなり過ぎました。私がまるい水晶の玉に思いを託したものを真民は露に見ていたのです。固体と液体の差はあれ、いずれも無色透明で丸く清らかなところが似ています。人なら誰でも水晶や露のような美しい心でありたいと願うものなのですね。