「で、何?何なの?何が言いたいの、誰に話したいの」と問い詰められたら困ります。

 何でもありませんし、何を言いたいのでも、誰に話したいのでもありません。あえて言えば、自分自身への独り言です。

 

老いた  人生を  降りる

 

という境涯に立って、最後に、心の鏡に映った自分自身と、人生について語り合ってみたいのです。ひとり黙考した結果のつぶやきです。

 考えても無駄なことを考えるのが私の性(さが)です。無益で、何の役にも立たないことぐらい、百も承知です。うちの上(かみ)さんも、そんなしょうもないことよしなさいよ、としょっちゅう言います。でも、考えずにはおれないのです。頭がひとりでに回転するのです。そして、何か思いついたら書かずにはおれないのです。長年の習性ですし、業としか言いようがありません。

 人間のもっとも根源的な行為は「生きること」です。そして、もっとも根本的な知恵はその「生き方」を知ることです。このことに、若い頃から強い関心を寄せていました。職業柄もあって、心理臨床学関連の専門書は言うに及ばず、宗教書や哲学書、教養書、その他何でも寸暇を惜しんで読みあさってきました。私の人生、読書禅かといいたくなるほど、読書三昧でした。

 やがて訪れる最後の時を、最近しきりと考えるようになったせいでしょうか、生と死について、「ゼロを深く豊かに」という在り方にやたら心が惹かれるようになりました。

 これまでも、専門書以外に、『はて、どう生きようか』、『空我を生きる』、『生き方の美学』(いずれも、ナカニシヤ出版)など、生き方についてエッセイ集を三冊上梓してまいりました。本書では、「ゼロ」と「空」の概念に視点を定めて、自分の人生の清算について思考実験を重ねてきたことを、一般によく知られた話や詩を引用しながら、できるだけ平易に書き綴ってみました。

 内容は、私の気ままな知的遊戯(ゆげ)から自然に醸し出された人生論です。奇特にもこの本を手に取っていただいた方には大変ご迷惑をおかけしますが、ご容赦ください。でも、なんとなく「そうだよなぁ」、「なるほど」、「そうだったのか」と同感し、納得していただければ、これに過ぎたる喜びはありません。私の勝手なひとりよがりではなかった、という証(あかし)ですから。

桜島を望むおだやかな春の日に  著者