禅マインドフル・サポート実践法について

はじめに

(1)瞑想の現代的意義

 科学技術が進歩し生活の利便性が高まるにつれて、なぜか人は多忙になる。カバットジンの言葉を借りると、「現代人は気ぜわしく何かに追い立てられるように、絶えず何かをしていないと不安で休むことを知らない」。Doing-Modeがその生き方の基本になっている。そのために、今という瞬間の豊饒さを見過ごし、今を生きている自己を見失っている。

 仏教はいったん立ち止まって自己を振り返り、“今”という瞬間を自分に取り戻す“瞑想”の重要性を教える。カバットジンが仏教と東洋思想から学んだ核心は、“何もしないで自分を見つめる”ことの意義である。彼は言っている。「究極的に、瞑想とは“何もしない”ことを学ぶことによって、自己を見失った現代人に、自己を見失っていることに気づかせ、本来の自己をとりもどさせる(ことである)」。()は私の挿入である。今この一瞬の本来の自己を取り戻すためには、何もしないで、“何かをしている”自分を見つめることである。私はこの“何もしないでただ〈あること〉”(Being-Mode)の偉大な力を「ナッシング・グレート」と呼んでいる。福祉では、Well-Being(幸福)とはいうが、Well-Doing(善行)という言葉は使わない。人生は次々に継起する今の積み重ねであるから、今を充実させることは人生を豊かにすることにほかならない。これが瞑想の現代的意義である。

 瞑想(meditation)というと、何か得体のしれない神秘的で超常的な体験のように思われているが、これは誤解である。都会の喧騒にまみれてあくせく生活をしていると、ふと山奥の静かな湖畔にひとりたたずんで自分を振り返ってみたいと思う。夕焼けの美しさにふとみとれる。何も考えていない。ごく日常的な経験である。形を整えてこれを行うのが瞑想である。

 仏教的言い方をすれば、瞑想は禅定を深め智慧を磨く行(ぎょう)であり、同じことを、マインドフルネスではこう表現する。瞑想とは、一瞬一瞬の今に意識的に注意を集中して気づきの感性を研ぎ澄ますスキルである。いずれもきわめて合理的で現実的なのである。マインドフルネスが西欧社会で大きな反響を呼んだのは、こうした気ぜわしいストレスフルな時代背景のゆえである。