私の学生時代の恩師・故秋重義治教授は、著名な道元禅の心理学の専門家で、この道の第一人者であった。残念ながら直接薫陶を受けたわけではなかったが、「門前の小僧習わぬ経を読む」で若い頃より道元禅に親しみ、よくはわからないまま『正法眼蔵』やその他の関連本を読み漁っていた。本格的に坐禅と取り組み始めたのは還暦を迎える頃からであった。それ以来、ほぼ30年近く毎日のお勤めを欠かしたことはない。毎朝、正身端座の坐禅、一息半趺の経行(きんひん)、般若心経や普勧坐禅儀、弁道話などの読経、そして夜、就寝前には仰臥禅を実践している。写経も『般若心経』を千巻、白隠禅師の『坐禅和讃』を五百巻奉納したが、今は中断している。永平寺で長年厳しい修行を積まれた曹洞宗の僧侶・鎌田厚志禅師(眞龍峰直指庵住職)に10年間ほど師事していたが、今は無師独坐である。
大本山永平寺の鹿児島出張所・紹隆寺の坐禅会には、私の師匠が監守(かんす)を務められていた五年間、ずっと参加していた。そこで経験した一般の在家向けの月例坐禅会の概要を紹介しておく。
月1回2時間の坐禅会には毎回、ほぼ同じ顔ぶれの10人程度の参加者があった。出席すると、まず、2、3人の若い修行僧がお茶を出してくれる。茶を飲んでいると、やがて時刻が近づいて監守がやってみえる。一言挨拶と坐禅の心得の話があった後、坐禅堂へ案内される。紹隆寺の坐禅堂は格式の高い立派な坐禅堂である。全員の座が決まると、正身端坐して壁に向かい20分の坐禅を行う。その後、参加者が列を作って10分程度の経行(きんひん)を行う。そしてまた後半20分の坐禅に入る。最後に厳かにゆっくりと普勧坐禅儀の読経を行う。私が参加していたときは普勧坐禅儀であったが、般若心経の場合もある。この一連の行(ぎょう)が終わるともとの部屋に戻って、監守を囲んで喫茶去を行う。茶を飲みながら、みんなで一人ずつ今感じていること思っていることを語り合うのである。
寺によって多少違うのかもしれないが、おそらくこれが曹洞宗の月例坐禅会のやり方の共通パターンではないかと思う。坐禅会に参加して、これはマインドフルネスのグループ・セッションに似ているなと感じた。
なぜ、私が自分の行体験を語ったかというと、これを「禅マインドフル・サポート実践法」の基本モデルとしているからである。もう一つの理論的・実践的枠組みとして、1990年代以降大きな注目を浴びている仏教の洞察瞑想の改訂版である「マインドフルネス瞑想法」を下敷きにしている。このプログラムをマインドフル・サポートと名づけたのはそれゆえである。そこで、本プログラムを提案するに当たって、止観・坐禅との異同の対比を明確にするために、マインドフルネス瞑想法の概要を少し詳しく示しておく。
日本人はあちらの言葉に弱い。止観・坐禅とこちらの言葉を使うと古色蒼然として敬遠されがちであるのに、同じことでもマインドフルネスと呼ぶと諸手を挙げて雪崩現象を起こす。だから、本書でも、あちらの言葉を多用するが、基本はあくまでも止観・坐禅である。