禅マインドフル・サポート実践法について

序分(じょぶん) マインドフルネス瞑想法

(3)マインドフルネス瞑想法の技法

 カバットジンのマインドフルネス瞑想法の三大要素は、①意図的に、 ②今この瞬間に、③価値判断することなく、注意を向けることである。マインドフルネス瞑想法は、今この一瞬に起こっている自己の経験(思考、感覚・感情、行為、身体感覚)にあるがままに(評価したり批判したりすることなく)気づき、それを慈しみ深く受容することである。

 マインドフルネスの瞑想法は、呼吸瞑想法を共通技法としてボディー・スキャン、坐瞑想法、ヨーガ瞑想法を三本柱とする。これにレーズン・エクササイズやマインドフル・ウォーキング、マインドフル・ストレッチ、慈しみの瞑想などが加わる。これら各種の瞑想法の組み合わせで8週間の基本プログラムが構成されている。8回セッションの基本は共通しているが、回によって毎回少しずつ課題が異なる。組み合わせにはかなりの自由度があり、カバットジンは、自分のプログラムをプロトタイプ(原型)として、それぞれの人が自分に合った自分なりの瞑想法を開発することを勧めている。瞑想の後、そのふり返り(言語によるフィードバック)が実施される。気づきの言語化はとても重要視されている。

 グループ・セッションでは、3つの条件が課せられる。1つ目は、クラスで起こったことは決して口外しない(プライバシーの厳守)、2つ目は、何があっても人を非難しない、すべてが許される雰囲気(非難しない態度)、3つ目は、他人の言っていることにしっかりと耳を傾ける(傾聴の重視)である。

 毎日のホームワーク(最低1時間)が必須条件である。また、セッションで習得した瞑想法は、ふだんの日常生活における個々の具体的な行動(たとえば、歯を磨く、シャワーを浴びる、服を着る、食事をする等々)で実践することが求められる。

 以下、カバットジンのプログラムを骨格にしているが、シーガルらのプログラムも参考にして構成単位の概要を示す。なお、カバットジンがマインドフルネス瞑想法の三本柱の一つとして重用(ちょうよう)したヨーガ瞑想法は、私自身実際の経験も知識もないので、ここでは割愛する。

呼吸瞑想法

 カバットジンのマインドフルネス瞑想法は、“今、この一瞬”の自己に注意を集中する技法であり、その基本は呼吸瞑想法である。最初は 10 分間程度であるがセッションが進むにつれて少しずつ長くして 40 分間程度行う。姿勢は、仰向けに寝るか椅子に坐るか、どちらか楽な方を選ぶ。呼吸は腹式呼吸である。これは赤ん坊の呼吸の仕方である。深くゆったりとしている。私たちが日常無自覚に行っているふつうの呼吸は胸式呼吸である。ストレスで緊張したり不安になると肩で呼吸するようになる。極端な場合、病的なパニック障害の症状では、動悸や発汗等とともに過呼吸がみられる。腹から胸、そして肩へと呼吸する身体部位が上昇するにつれて、呼吸は浅く短くなる。呼吸瞑想では、深くゆっくりした呼吸に意識を集中する。腹部に意識をおくことは、頭部の思いや悩みから離れることになる。頭の考えよりまず体の感覚である。ブルース・リーが『燃えよドラゴン』で吠えたあの名セリフ「考えるな、感じろ」である。

 心が呼吸から離れたことに気づいたら、静かに呼吸に戻す。呼吸はさまよう心のアンカー(錨)である。移ろいさまようのは心の本質であり、それを止めることはできない。しかしそのままにしておくと、自分を見失うことになるので、遊びすぎないように穏やかに繋ぎ止めておく必要があるのである。

 「三分間呼吸法」はこれを三分間だけ続ける方法である。その間に自分の心と体にどのようなことが起こっているかを観察するのである。シーガルらはこれを「三分間呼吸空間法」に改編している。空間法とは、呼吸への注意を全身の感覚や姿勢にまでへ広げるということである。気づいた経験を言葉にする。たとえば、心のなかで、「怒りの感情が起こっている」とか「自分を批判するような考えが生じている」とか言う。「三分間呼吸空間法」は、毎日決めた時間に1日3回行う定時のものと、ストレスや不快感を感じた時にはいつでも行う随時のものの二種類に分けられる。いずれも、心がどこにさまよおうと、「心のギアをシフト」して、基点としての今という瞬間の経験につなぎとめることを可能にする。

 呼吸瞑想を続けていると、しだいに心が安らぎ体がリラックスする。ものの見方が変わってくる。あるがままの本質が見えるようになる。

レーズン・エクササイズ(マインドフル・イーティング)

 私たちは、ふつう食べるという行為を何気なくマインドレスに行っている。

 マインドフルネスの導入法として、カバットジンは初回の最初に「食べる瞑想(レーズン・エクササイズ)」を実施する。これは、日々の活動の中で、今自分が行っている行為に注意を集中するとはどういうことか、を学ぶトレーニングである。ほかのことは一切考えずに、三粒のレーズンを一粒ずつ、色や形を眺め、匂いを嗅ぎ、口に入れるときの腕の動き、噛む感覚、味わい、飲み込むときの感触など、微に入り細にわたって一瞬一瞬の直接的な感覚体験を意識的に観察するのである。ふつうの自動化された習慣的な食べ方とはまったく違った新鮮な体験をすることになる。私たちがふだん一瞬一瞬をいかに無益に過ごしているかに気づかされる。

 レーズン・エクササイズはカバットジンの技法のなかでもっとも奇抜な印象を与える。だが、禅の食事の作法はもっと厳格に儀式化されている。精進料理といっても命をいただくのであるから、黙食で一口一口感謝の心を込めて深く味わう。おそらくレーズン・エクササイズは、カバットジンのこの体験による発想なのであろう。

ボディー・スキャン(自分の体を感じとる)

 レーズン・エクササイズの次の段階でボディー・スキャンが実施される。ボディー・スキャンは、カバットジンのプログラムでは、最初の四週間に集中的に取り入れられている。シーガルらのプログラムでは、最初のセッション1と2で行う。いずれも最後のセッションはボディー・スキャンで締めくくられる。いかに重視されているかがわかる。一日に一回、45 分間、毎日行う。呼吸法とボディー・スキャンはプログラムに登場するほかのマインドフルネス実践法の中核となるスキルである。

 ボディー・スキャンは、静かで適度の室温が保たれた部屋で、床にマットを敷くか、あるいはベッドの上で、仰向けの姿勢で横になって実施する。目は閉じる。

図1 ボディー・スキャンの「仰臥位の姿勢」
(カバットジンの図1より)

 まず数分間呼吸瞑想を行う。それから 40 分間程かけて、身体のさまざまな特定部位に意識を移していく。その方法は、カバットジンの説明に分かりやすく示されている。

 

 「まず、あおむけになって、目を閉じ、注意を体のさまざまな部分へ移動させてください。

 最初は、左足の先から初めて、ゆっくりと足の付け根のほうへ注意を移動させます。移動するにつれて生じてくる感覚を感じとりながら、呼吸にも注意を向けます。骨盤に達したら、右足の先に注意を戻し、同じように足の付け根のほうへ注意を移動させます。

 その次は、骨盤から上に向かって胴体全体、つまり腰と腹部、背中と胸、肩へと移動させます。次は、両手の指先に注意を集中し、左右同時に腕から肩に移動させ、首、のど、それから顔のすべての部分、後頭部、そして頭のてっぺんに注意を集中します。

 頭のてっぺんに鯨の噴水孔のような穴があいていて、そこから呼吸しているというイメージを作ってください。頭のてっぺんから入ってきた空気は、体全体を通って足の先から出てゆき、今度は足の先から入った空気が頭のてっぺんから出てゆく。一方の端からもう一方の端へ、体全体で呼吸しているつもりになってください。

 これで、ボディー・スキャンは終了します」(春木豊訳)。

 

 それぞれの部位に感じられる「感覚とともに存在する」という意識をもつことが大切である。身体の各部位で感じられる感覚への気づきを深めながら呼吸にも注意を向ける。今注意を向けている箇所が呼吸している感じとなる。ボディー・スキャンは、呼吸と体を結びつけることによって、生命そのものを感じとることができる。何も感じなければ、“何も感じない”と感じる。

 注意が散漫になったら、注意をいったん呼吸に戻し、落ち着いてからそっともとの箇所に戻す。特定の身体部位にこりとか痛み、緊張を感じたら、その部位に「息を吸い込んで」その感覚を受け入れ、「息を吐いて」その感覚を手放す。そうして次に移る。

 身体全体を「スキャン」した後は、体全体が一つになったような感覚の中で、しばらくの間、静かにじっとして呼吸瞑想を行う。さまざまな身体部位に注意を移動させることから一つの焦点(呼吸)に注意を向けるということは、ヴィパッサナー瞑想からサマタ瞑想への移行を意味する。

 ボディー・スキャンには、気ぜわしい「Doing-Mode」から落ち着いた「Being-Mode」へ移す、あるいは習慣的な思考パターンから離れる、ネガティブな思考と感情の悪循環を断つ等、さまざまな優れた効果がある。しかし、カバットジンがつとに強調していることは、そういった成果を期待して努力せず、ただひたすら無意図的にやり続けることである。目標を設定したり、ゴールを求めることもしない。瞑想でなんらかの成果を上げたいと思うなら、何かを得ようと期待するのではなく、瞑想すること自体を目的として励むのが最良の方法である。すべての期待を捨て去って、ゼロから出発することで、新しい見方や感じ方を開拓することができるようになる。

坐瞑想法

 はじめのうちはボディー・スキャンが中心であるから坐瞑想法は 10 分間程度であるが、少しずつ長くなり、本格的(40 分間程度)に実施されるのは、カバットジンのプログラムでは第5週目から、シーガルらのそれではもっとはやくセッション3からセッション7まで坐瞑想が中心となる。最後のセッション8はボディー・スキャンである。

 坐瞑想は、椅子でも床でも構わないが、背筋を伸ばし、頭と首とが一直線になるようにきちんとした姿勢で坐る。顎を少し引き、肩はリラックスさせる。姿勢はとても大事である。それが精神状態や感情に直接影響を与えるからである。

図2「坐瞑想の姿勢」
(カバットジンの図2より)

 正しい姿勢で坐ったら、呼吸瞑想に入る。じっと坐って呼吸に注意を向けていると、坐っている自分の体と呼吸、そして心が一体であるという感じを味わうことができる。体全体が呼吸しているという意識を保つのである。

 心がさまよいだしたら、呼吸している体に注意をひき戻す。心の中に去来する思いの大部分は、過去か未来に関連するものなので、そのことに気づいたらすみやかに注意を今この一瞬の自分に引き戻すのである。

 何もせずただ坐る。何かに執着したり、何かを求めてはならない。意識を完全に開放し、意識に入ってくるものはすべて受け入れ、去っていくものは去るにまかせる。あるがままの意識と共に坐るのである。心に浮かぶ思いや考え、音の感覚などを虚心坦懐に観察していると、それらは長くは続かないことに気づく。こういう思いは一過性のもので、浮かんだと思うと、すぐどこかへ行ってしまう。

 シーガルらは、「思考は事実ではない」というフレーズを好んで用いる。そしてさらに、「“思考は事実ではない”という思考自体も事実ではない」とダメ押しする。つまり思考は思考であって、心の中の出来事にすぎないという気づきが、シーガルらの治療原理である“脱中心化”を促すことになる。脱中心化とは、「私はダメ人間」、「役立たず」、「嫌われ者」といったネガティブな反芻思考へのとらわれから離れるスキルである。自動的に心に浮かんでくる“古い思考パターン”を一段高いメタレベルから認知できるようになり、その圧倒的な力から解放されるのである。

 ボディー・スキャンや坐瞑想法の目的は、リラックスすることというよりも、身体感覚への注意集中をトレーニングすることにある。しかし、静止した状態よりも、歩いたりストレッチしたり何か体を動かす方が身体の感覚に注意しやすい。そこで、マインドフルネス瞑想法には、マインドフル・ウォーキングやマインドフル・ストレッチなど身体を使ったマインドフルネスが補助的に取り入れられている。シーガルらのプログラムでは坐瞑想と同時にセッション3から実施する。シーガルらは、毎日身体をつかった練習をすることが、心身のウエルビーイング(Well- Being)に配慮するもっとも簡単な方法である、と言っている。

マインドフル・ストレッチ

 マインドフル・ストレッチの練習は 10 分間行う。腕を上げたときの筋肉の緊張、腕を下げたときの筋肉の弛緩に注意を集中する。この課題は、それぞれの体の動作にともなう感覚の違いに対比的に気づくことである。その違いを感じながら呼吸する。ただし、たえず注意を呼吸へ戻す坐瞑想とは異なり、体の動きの感覚だけに注意しつづける。

マインドフル・ウォーキング(歩行瞑想)

 私たちはふつうの日常生活の大半を無意識のうちに自動的に行っている。歩行についても同じである。マインドフル・ウォーキングとは、歩きながら“歩いている”という実際の体験に注意を集中する方法である。歩きながら、歩くことに専念し、自分が“今、歩いている”ことを意識するのである。歩行瞑想である。

 マインドフル・ウォーキングは、人目につかない場所で、たとえば、部屋の中をぐるぐる歩きまわったり、細い道を行ったり来たりする。これを 10 分間程度くり返すのである。歩速はふつうか少しゆっくり目にする。視線はまっすぐ前方に向ける。歩行瞑想は、歩くという自分の内部に生じてくる感じを観察するのである。

 まず地面に着けたほうの足に注意を集中することから始める。地面に着いた足に徐々に体重がかかり、それにつれてもう一方の足が上がり、前方に動き、また地面に降りる。その動きがくり返される。両足の動く感覚や体重の移動、足の裏が床と接触している感覚に気づきを向けるのである。

 マインドフル・ウォーキングの場合も、心が足の動きから離れてさまよいだしたことに気がついたら、すみやかに意識を歩くことに戻す。そのとき、足の裏が床にふれる感覚を今の瞬間につなぎとめるアンカー(錨)とする。

 体の動きの感覚を感じとりながら、今この瞬間に“自分が存在している”という実感をもって、一歩一歩に注意を集中するようにして歩く。集中力がついてきたら、歩いている体全体の感覚を意識するようにする。この実践を日常の歩行にも広げることによって、日常生活の活動へのマインドフルネスの移行が容易となる。

 歩くことに注意を向けていると、自動操縦状態が断ち切られ、毎日の決まりきった体験がよりいきいきした興味深いものに変わってくる。毎日の生活が豊かで実り多いものになる。一歩の中に人生を味わい、“今”この瞬間に存在している自分を実感するようにする。

セルフ・コンパッション(愛と慈しみの瞑想)

 マインドフルネス瞑想法による「自己への気づき」の深まりは、おのずから「自己への慈しみ」となる。これをセルフ・コンパッション(Self  Compassion)と呼ぶ。マインドフルネスでもコンパッション(慈しみ、慈悲)が重視されるのである。カバットジンの「慈しみの瞑想」は、後述する仏教の「慈悲の瞑想」そのままである。

 まず呼吸に注意を集中し、心を安定させることから始める。心が落ち着いたら、意識的に自分自身に対する愛や慈しみの感情を呼び起こすために、心の中で自分自身に次のように言い聞かせる。まず、「怒りや憎しみの感情から自由になれますように。そして、私に対する同情や慈しみの気持ちでいっぱいになりますように」。

 自分を慈しむ強い感情がわきあがってくると、その感情をほかの人びとに向けることができるようになる。次に誰か、気になる特定の人物の姿を心の目に思い描いて、「あの人が幸せで、痛みや悩みから解放されますように。あの人が愛と喜びを体験できますように」と願いながら、心の中にその人の感じをとどめおく。この後、自分が愛を感じている両親や子ども、友人などを思い描く。

 今度は、特に関係がうまくいっていない人、たとえば、憎しみを感じているような人を思い浮かべて、その人に対して、意識的に慈しみ、同情の気持ちを向け、嫌いだという感情や怒りを解き放つ。そして、その人を、感情をもち、痛みや不安や悩みをかかえる一個の存在として、愛や慈しみを受けるに値する人間として見るようにする。もし、その人があなたを傷つけた人間だったとしたら、心の中で意図的にその人を許し、怒りや憎しみの感情を解き放つ。自分が相手を傷つけたことがある場合は、それが意識的であっても無意識であっても、相手に許しを請うようにする。この瞑想は、生きている人であれもう死んでいる人であれ、許しを求めたり許したりすることによって、長い間わだかまっていた気持ちを解放することができる。これは、過去の感情や傷を完全に解き放ち、今という瞬間をありのままに受け入れるようになるために、非常に重要なプロセスである。

 そして、その範囲をもっと広げて、生きる気力をなくしているような人や、不幸に思える人たち、悩んでいる人、しいたげられている人、愛情を必要としている人など、すべての人を、あなたの慈しみの気持ちで照らしてあげる。そして、さらに、その範囲を広げ、人間だけでなく、地球上のあらゆる生きものや、生きている地球自体にも慈しみの気持ちを向けていくと、瞑想はもっと深まっていく。

 最後にもう一度、自分の体と呼吸へと注意を戻し、あらゆる生きものに対する暖かい気持ちや愛情をいだいたまま瞑想を終える。

 私は、最初「慈悲の瞑想」をどこかしらじらしく感じていたが、カバットジンも同じように感じていたらしい。彼は言っている。「この力に気づくまで私は、この瞑想がわざとらしいと思っていたが、この瞑想を規則正しく行っていると、心をやわらげる効果があることがわかってきた。そして、自分自身に対しても人に対しても、暖かい気持ちをいだくことができるようになり、すべての人を慈しみと同情を受けるにふさわしい人間だと思えるようになった」と。