禅マインドフル・サポート実践法について

正宗分(しょうしゅうぶん) 禅マインドフル・サポート実践法

(1)マインドフルネスの再仏教化

 カバットジンやシーガルらがマインドフルネス療法を開発した際、彼らは、一見エビデンス・べイストな科学を装い、仏教色を完全に払拭した。キリスト教を中心とした多宗教社会のアメリカにおいて臨床技法としてマインドフルネスを普及させるためには、脱仏教化はやむを得なかったことと理解できる。

 仏教が宗教であるか否かについては議論のあるところであるが、「仏教は苦からの解放をめざす実践哲学である」というのがおおかたの了解である。仏教の基本である禅は、「ただ今この一瞬の自己のあり方、生き方が全(まった)き完全である」という真理に気づく行(ぎょう)である。全き完全であるということは、それが「あるがままにある」ということである。

 紀元6世紀(西暦 538 年説が有力)に我が国に仏教が伝来されて以来、仏教思想は日本の伝統的文化の基盤となっている。仏教に馴染み深い日本にマインドフルネス療法が逆輸入されるとき、脱仏教化されたマインドフルネスを再仏教化することが我が国における臨床家の矜持ではないかと思う。
 大谷 彰は、近年アメリカで起きたマインドフルネスにおける仏教パラダイムから臨床パラダイムへのパラダイム・シフトに鑑(かんが)み、前者をピュア・マインドフルネス、後者を臨床マインドフルネスと名づけて二つに概念区分している。臨床マインドフルネスは、ストレスの低減やうつの再発予防、不安や苛立ち、怒りの抑制、その他の心身疾患の治療を目的にマインドフルネスをストラテジック(方略的)に活用する。治療効果の実証が重要な位置を占める。

 一方、ピュア・マインドフルネスは、「今ここ」での体験が縁起なるがゆえに無常・無我であることに気づき、それをあるがままに受け入れることを通して、人間としてのあり方、生き方を深く探求することを基本とする。それゆえ、臨床マインドフルが狙いとする方略的な治療効果は二義的、随伴的なものにすぎない。治療という枠組みを超えて、心身の修養を目指す。本書で提言する禅マインドフル・サポートはどちらかといえばピュア・マインドフルネスに近い。