禅マインドフル・サポート実践法について

正宗分(しょうしゅうぶん) 禅マインドフル・サポート実践法

(2)働くことの“ただならなさ”

 日々の生活は毎日同じ仕事のくり返しにすぎない。そうとしか生ようはない。たとえば、呼吸瞑想を考えてみる。呼吸は生まれて死ぬまで絶えることはない。「生きることは息をすることだ」と言った人がいる。息が止まった瞬間、死ぬ。それほど重大なことであるにもかかわらず、ふだん吸う息、吐く息はマインドレス、つまり無自覚に実行されている。ただの息である。呼吸瞑想は今この一瞬の吸う息・吐く息に注意を集中するのである。息を吸いながら腹が膨らみ、息を吐きながら腹が縮むのを感じる。すると、ただの息がただならぬ息であることに気づく。無数の息の一つであれば「ただの息」にすぎないが、今この一瞬の息は前の息とは違う。今ぎりで一回こっきりの二度と経験することのできないまったく新しい息なのである。「万物は流転する」といったヘラクレイトスの「同じ川に二度入ることはできない」と同じである。“ただならぬ”とはそういうことである。しかも、この一瞬一瞬の吸う息、吐く息がひたすら命を支えているのである。生きるということは、息を吸ったら吐く、吐いたら吸う、ただこれだけのくり返しである。それは人間の意志やはからいを超えた自然の営みである。この自然の営みの偉大さを“ただならぬ”というのである。すなわち、“ただならなさ”は即“ありがたさ”である。このことに気づけば、くり返し起こる同じことの一つひとつがとても味わい深い新鮮な体験に感じられる。今この一瞬の呼吸を「ただの息ただただならぬ ただの息」と覚知すること、これが坐禅瞑想の根本である。

 呼吸に限らず、自己のあらゆる経験は、今この一瞬一瞬に生滅変化をくり返す。その一瞬の自己が、かけがえのない、ただならぬものと気づけば、そこにおのずから感謝の気持ちと心の安らぎや慈しみの感情が湧く。人生における一瞬の“ただならなさ”への気づき、これがすべての出発点であり原点なのである。禅の行法の意義はこの一点にある。人生において一番大切な時はいつか?その時は“今”。「一瞬をおろそかにする者は一生を失う」という言葉を深く噛みしめるべきである。

 福祉の仕事についてもまったく同じことがいえる。仕事は毎日同じことのくり返しにすぎない「ただの仕事」である。しかし、日常何気なく
やっていることは、同じことのくり返しのようにみえて、その実、二度とくり返すことができない。だから、今日一日の仕事をただならぬ仕事と自覚できるかどうか、これが仕事に対する姿勢の重要な分かれ目である。禅マインドフル・サポートが目指しているのもこの一事に尽きる。