人生ご破算で願いましては

第0章 人生の清算

二、ご破算のし損ない

 もう随分以前のことです。県の福祉課を退職して、福祉機器販売会社に天下った元福祉課長が若いセールスマンを連れて、私どもの施設へ福祉機器のセールスにみえたことがありました。その態度のでかいことでかいこと。まるで「売ってやるから買いなさい」といわんばかりの物言いでした。若いセールスマンへの手前もあったのでしょう。「考えさせて頂きます」と京風に体(てい)よくことわりましたが、二人が帰られたあと、施設長をしているうちの上(かみ)さんと、「あの人まだ課長をしているよ」と笑ったものでした。なかなかすんなりと自分の経歴をご破算にすることはできないものなのですね。

 実は、かく申す私自身がまったくその典型例なのです。私は平成二十四年三月三十一日をもって四十六年間の教員生活に幕を閉じました。その時、これまでの自分の経歴をご破算にすることに完全に失敗したのです。その体験から、「人生をご破算にすること」の重要性に身をもって気づかされました。

 退職してはじめて自分が生粋の大学人であったことを思い知らされたのです。四月一日を過ぎているのに、家でこれまでとまったく同じペースで同じ仕事をしているのです。自分の中ではまだ研究が終わっておらず、論文や専門書を読みあさっているのです。「俺、いったい何やってるんだろう?もう大学教授ではない。いくら勉強したり原稿を書いたりしても、それが論文になるわけでも、本になるわけでもない」とだんだん虚しくなってきたのは、それから随分たってからのことでした。

 人間丸裸になると、〈私〉がなくなるものなのですね。完全に自分を見失ってしまいました。これから何をしたらいいのか、どう生きたらいいのかわからず、とことん自己喪失感と人生の無意味感に悩まされました。大学生活がいかに自己存在の基盤になっていたかということを嫌というほど思い知らされたのです。一時は虚無感と抑うつ感に陥り、完全なうつ状態でした。坐禅をしていても、心は千々に乱れて、調身・調息・乱心状態で「いつ死ぬか、どこで死ぬか、どうやって死ぬか」という自殺念慮だけが頭にこびりついて離れないのです。実際に、錦江湾に浮かぶ雄大な桜島を一望できる寺山公園や景勝の地として名高いえびの高原の赤松林に分け入ってどの木にするか、と一人さまよったこともありました。そのとき紐をもっていなかったので、本気で死ぬ気はなかったのでしょう。

 現役時代、私の専門は臨床心理学で、主としてシステム療法を中心に心理臨床家としての道を一途に歩きつづけてまいりました。職業柄、これまで様々な悩みを抱えたおおぜいのクライエントの方々と面接してきました。小中学校の教員を退職したばかりでうつ病を患った人にもかかわらせていただいた経験があります。その中には、無表情に「死にたい」と訴えられる人が幾人もいらっしゃいました。その時、表面的にはあたかも共感しているかのように装いながら、その実、心の中ではこの人「死にたいそうな」、うつ病によく見られるいつものケースだ、と職業的に対応していただけだったように思います。自分が同じような状態を経験してはじめて、あの時、あの方々はこんなに苦しかったんだということが身にしみ通るように理解できるのです。カウンセリングでは、よく共感的受容という言葉を安易に使いますが、共通体験なしに共感的理解なんてできるはずがありません。あの時は本当に申し訳ないことをしたと今でも悔やんでいます。

 自分がこんな惨めな状態になったので他の人も同じだろうと思って、幾人かの同じ退職した知人に「どうだった」と尋ね回ったことがありました。「わかるわかる」と応じてくれた人もいましたが、「別に、好きなことができて自由を謳歌しているよ」とあっけらかんと答えた人の方が多かったように覚えています。人それぞれなんですね。でも、落ち込まずにすんだ人たちは、それまでの自分の仕事に我を忘れて打ち込むことのできなかった、ある意味で不幸な職業人生だったのかもしれません。話を聞きながら、自分がこれほど自己喪失感と実存不安に悩まされたのも、自分が仕事か仕事が自分かわからないほどとことん仕事と一体化してきたせいなんだから、自分を誉めてやってもいいんだ、と思い直しました。

 「一所懸命」という言葉があります。辞書によりますと、「一所懸命」とは、「中世(鎌倉時代)、君主から拝領した一カ所の領地を生活の基盤として、そこに命をかけること」とあります。私は四十六年間、大学を一所として懸命に生きていたのでしょう。その一所を失って落ち込んだのは、退職の時、これまでの自分の経歴や業績を完全にご破算し損なったためだったのです。

 さんざん悩み苦しんだあげく覚ったのは、これまでの人生をすべてご破算にしてゼロへリセットする以外にないというごく当たり前のことでした。結局、退職うつのみならず、様々な心理的悩みの解決の多くは、ゼロへリセットすることにかかっているように思います。この意味で心理臨床の治療原理は「ご破産で願いましては」をどう実践するかにあると思い至りました。仏教では二千年以上も昔からそう説いていたのに。釈迦の教えには、私たち心理臨床家が学ぶべき多くのものがあります。