人生ご破算で願いましては

第0章 人生の清算

四、人生のはじまりはゼロから

 戦前まで、日本の年齢の数え方は数え年でした。生れた年を一歳とし、以後正月になるたびに一歳を加えて数えるのです。ですから、十二月三十一日生れの赤ちゃんは翌日は二歳になるのです。実際は年が明けてから生れたことにする例が多かっただろうと思います。この矛盾を避ける意味もあって、戦後は欧米流に生れて一年間はゼロ歳にして誕生日ごとに一歳増える満年齢の数え方に変更されました。

 このことに関連して、高田都耶子のエッセイを読んでいたら面白い事が書いてありました。薬師寺の名管主であった父・故高田好胤についての話です。好胤は数え年について次のように語っていたそうです。

 

私は年齢は必ず数え年で申し上げております。私たちは母親の胎内に宿ったその瞬間から生きているのですから、人の年齢というものは、胎内の二百六十六日間も含めて数えるべきです。この胎内での生涯を無視することが、人命軽視の風潮の大きな原因になっていると思います。また、人間の生命を物質化して人生観を歪めるもとにもなっていると思います。

 

まったく同感で目から鱗でした。また、好胤は常々、「人間、お母さんのお腹の中に宿らせてもらった時が本当の誕生日だ」と言っていたそうです。そして、生れて一年間を「零歳」扱いすることが、人間の魂の養いに決定的な影響を与えるのであって、「零歳」などという言葉はとんでもないというのが好胤の信念だったといいます。

 私は「ゼロ」という言葉にとても肯定的な意味をもたせていますので、その点はちょっと違うかもしれませんが、卵子の受精を命の誕生とし、胎児に人間としての人格を与えるという主張にはまったく賛成です。イギリスの経験主義者のジョン・ロックが「タブラ・ラサ」つまり、人間は本来白紙で生れてくると主張したのに反して、現代の医学・心理学的研究は胎児が既にいくつもの素晴らしい能力を身につけていることを実証しています。

 思えば不思議なことです。卵子の受精は、ビッグバンに喩えることができます。無限の大宇宙がほぼ一三八億年前のビッグバンによって形成されたように、一個の受精卵から分裂に分裂を重ねて人間の体ができあがるのです。しかも、人間として備えるべき五体すべてが寸分の間違いもなく満足されています。目が二つ、耳も二つ、鼻と口は一つずつ、両手の指は十本、両足の指も十本。大脳や内臓は気が遠くなるほど複雑です。このように私たちの体は無数の器官に分化して六〇兆個の細胞で構成されています。その六〇兆個の二パーセント(一兆二千億)が毎日、死滅してはまた再生しています。その結果、約七十五日後には、人間の体の全細動がまったく新しく入れ替わるのです。体(いのち)がよく川の流れの渦やローソクの炎に例えられるのはこのためです。常に風前の灯火なのです。にもかかわらず、渦や炎のように、ある程度の期間ではほぼ同一性が保たれています。むろん、長い目で見ると成長や老化で絶え間なく変化しているのですが。

 この生命の発生過程の最初期が母体内の胎児期です。ドイツの生物学者・エルンスト・ヘッケルの名言に曰く、「個体発生は系統発生を繰り返す」(三木成夫『胎児の世界―人類の生命記憶』)。その根拠についてはいろいろ議論のあるところですが、とてもインパクトのある言葉です。個体発生の原点である卵子の受精は、三〇億年前の古代海水の中で起こった原始生命球の誕生に相当し、胎児期の十月十日の個体発生は三〇億年の系統発生を短期間に圧縮した繰り返しだというのです。外からは見えませんが、母体内の羊水の中でとてつもない生命現象が起こっているのです。心や精神といわれるものもこの時期のどこかで誕生することは疑いようがありません。歳を数えるとき、この人生最大の創造期を無視するなんてとんでもないことです。

 高田都耶子によりますと、仏教の倶舎論には、母親の胎内での胎児の発育状態が丁寧に説明されているそうです。母体に宿った刹那から七日間ずつ、①凝滑(ぎょうかつ)、②鞄(ほう)、③血肉(けつにく)、④堅肉(けんにく)と四週間で成長し、最後の⑤支節(しせつ)が三十四週間で合わせて三十八週間、二百六十六日間、つまり世間で言うところの十月十日です。この倶舎論の胎児の発達説を現代の科学的研究の成果とつき合わせてみることはとても興味深いことです。

 それはさておき、ここで言いたいことは、私たちの生涯は母親の胎内においてすでに始まっているということです。高田好胤がいうように、年齢の起点を卵子の受精の時とするならば、十月十日の胎児期をゼロ歳とし、母体から個体分離する出産の時から一歳がはじまるとしたらどうかというのが私の提案です。ただ数え年と違うのは、歳が一つずつ増えるのは暦の上の元旦ではなく、満年齢と同じ次の誕生日にするという点です。折衷案みたいですが、大切なことは、受精から出産までの胎児期を人生のスタートにおけるもっとも重要な時期と位置づけることです。今後、胎児の成長・発達の医学・心理学的研究が進めばこの提案も少しは耳を傾けられるようになると思いますが、無名の私ごときがいくら声高に「胎児ゼロ歳説」を唱えても、一顧だにされないのがオチです。こんなどうでもいいことをど真面目に考えるのが私の悪いくせです。