人生ご破算で願いましては

第三章 歩行(ほぎょう)が人間を仏にする

七、草にすわる

 仏教では、日常生活における私たちの活動の形を行・住・坐・臥の四種類で代表させます。これを「四威儀(しいぎ)」といいます。つまり、歩く・立ち止まる・坐る・横になることです。

 本章の冒頭で、「変なサルが直立二足歩行をはじめた」ことが人類誕生の決定的な契機となり、そのことが人類を人類たらしめる根本的な特徴の一つである、と述べました。これは四威儀でいえば、行・住のことです。本章では、これまで直立二足歩行の歩行に焦点を当てて縷々語ってまいりました。でも、仏教、特に禅では「坐る」ことをとても重視しています。これは日本文化の重要な特徴でもあります。そこで、章を閉じるに当って、「坐る」ことの意義について一言触れておきましょう。

 人生の比喩として、「歩く」ことを詠った詩はたくさんあります。これに比べて、「坐る」ことをテーマにした詩はほとんどありません。私が思いつくのは、八木重吉の「草にすわる」くらいです。これは小学校高学年の教科書に載っていますので、ご存じの方はご存じです。

 

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
(この草は しずかだもの)

 

 これは八木重吉が生前にみずから刊行した唯一の詩集『秋の瞳』(大正十四年)のなかの一編です。八木はこの詩集を出版するにあたって、カッコで括った四行目を削っています。蛇足だと判断したのでしょう。詩にはまったく疎い私には、あった方がわかりやすいような気がします。八木重吉の詩は、どれも無駄な言葉をとことん削ぎ落として短かく詠い上げていますので、すっと心にしみこんできます。

 解説を読むと、たいてい、①仮名遣いの違い、②空白のおき位置、③わたしと草の対比などについて言及されています。①では、「い」と「ひ」の現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが本によってまちまちなのです。ここでは現代仮名遣いに統一しています。②については、一字をあける効果が指摘されています。一つの空白だけで、しみじみ自分に言い聞かせ、じっくりと反省する瞬間が表現されているのです。一行目で空白なしに一気に書き上げ、二行目に空白をおくことで巧みに間合いがとられています。③では、削除された四行目に詠われていたように、黙して語らず、ただしずかにそこにある「草」なればこそ、自分の心を振り返らせる重要な契機となっているのです。

 谷川俊太郎は、八木重吉の「まちがい」に焦点をあてて、「間違い」という詩をつくっています。

 

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

 

そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが
腑に落ちたことが私にあったか

 

草に座れないから
コンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない

 

たったひとつでも間違いに気づいたら
すべてがいちどに瓦解しかねない
椅子に座って私はぼんやりそう思う

 

私の間違いじゃないあなたの間違いだ
あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
みんなが間違っていれば誰も気づかない

 

草に座れぬまま私は死ぬのだ
間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて

 

 草にすわれないから、自分の深い間違いに気づくことができないまま死ぬ、と意味深く詠っています。

 問題は、「仮名遣い」や「空白の置き方」、「草の意義」などについては詳しい解説がなされており、まちがいについては詩まで詠まれているのに、「坐る」行為そのものについてはほとんど触れられていないことです。ただ、見田宗介(『社会学入門―人間と社会の未来』)だけは例外で、その第四章で八木の「草にすわる」を取り上げて、「草にすわる、という単純なただそれだけの行為が、自己と他者との関係の拮抗をふしぎに消去してゆく機微を鮮明に記しています・・・(草に坐ることで)、人と人とのあいだに敷かれている暗い国境がやすやすと越えられている」と述べています。

 「坐る」に対比される行為は「立つ」です。坐るという行為には、おのずから自己の内面へ志向して他者と融和する働きがあります。それに対して、立つ行為は、外部に向かって自己を屹立し、異質の他者を排除する志向性を持っています。

 ちょっと乱暴ですが、この詩の「坐る」を「立つ」に置き換えてみたらどうなるでしょう。「草に立つ」です。当然、

 

おまえのまちがいだった
おまえのまちがいだった
こうして 草に立てば それがわかる

 

となります。「おまえのまちがいだった」は相手を非難する言葉ですから、空白は必要ありません。一気に言い切るのです。このように、自分を深く振り返るためには、立ったのではだめで、坐ることが必然だったのです。

 

 坐ることについておさらいするのに、もっとも優れたテキストは、山折哲雄の『坐の文化論―日本人はなぜ坐りつづけてきたのか』です。この本は、「坐」に視座を据えて日本文化論を論じた希有の書です。以下は山折の論の受け売りです。

 氏の論述の基本は、西欧の「直立の文化」に対して、東洋、特に日本の文化を「坐の文化」として対比的に特徴づけるところにあります。その歴史的根拠として象徴的に示しているのが、一方では、ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)の刑に処せられた十字架上のキリストの立ち姿であり、他方では、インドのブッダガヤの菩提樹の下で悟りをひらいたときの釈迦の坐の姿勢です。そのせいか、西欧キリスト教圏の教会の聖人像がほとんど例外なく立像であるのに対して、仏像にはいろいろな形はあるものの、東大寺や鎌倉の大仏に代表されるように、その基本型は坐像のイメージです。氏は、少々極端ないい方になるのをおそれずにいえば、と断って、「ヨーロッパのキリスト教世界が『直立』の文化から出発したとすれば、インドや日本のようなアジアの諸地域は「坐」の文化にもとづいて発展した」と述べています。

 「立」は動であり、「坐」は静です。この静的な坐の姿勢が日本人に共通の伝統的な文化の基盤になっているというのです。ところが、『マンウォッチング―人間の行動学』の著者、デズモンド・モリスは、世界各地にみられる日常生活の動作について多面的に詳しく論述しているにもかかわらず、坐の動作については、巻末の終章で「うつぶせ」「あおむけ」「寝返り」などの身体運動と同じ「休息行動―くつろぎ行動」の類型のなかで申し訳け程度にしか触れられていません。これは前述の瑩山禅師が経行を眠気覚しの手段としてのみ位置づけたのとよく似ています。扱いが軽すぎて、「坐」の行動様式が本来もっている重要な文化的意義にはまったく気づいていないようです。西欧文化育ちのモリスに「坐」の生活習慣がなかったことを鑑(かんが)みれば、当然のことだったのかもしれません。

 立つ姿は基本的に一種類ですが、坐の姿は脚の組み方の違いで多種類あります。「脚を前へ投げ出す格好」、「両ひざを立ててうずくまる姿勢」、「そのひざを横に倒した平坐(あぐら坐)」、「両ひざをくっつけて曲げ、足の甲を畳につけて坐る正坐」、「坐禅の坐り方である結跏趺坐」などなどです。

 本書の趣旨からもっとも興味があるのは、「坐る」という行為のもっとも原型的なうずくまりの姿勢です。これはすでに縄文土偶に見られる坐法だそうですが、もっとも自然で安楽な姿勢です。なによりこれは羊水にただよって母親の胎内に眠る胎児の姿勢でもあるそうです。氏は言っています。「胎児こそは、坐の生活というものの原型を、まさにその始源的な舞台であらわにしているのではないだろうか」と。

 しかも、このうずくまる姿勢は、縄文時代に行われていた屈葬(坐葬ともいわれる)の姿でもあるそうです。この葬法が発達した理由として、氏は、「死んだのちに、人間が生れる前の母親の胎内での姿勢に復帰させるため、という理由も無視できない」と語っています。「うずくまる」という姿勢は出生と死の両方の場面にかかわっており、人間の一生の始点と終点を暗示しています。さらにいえば、人類発生の始原と終末をも象徴している、というのです。

 両ひざを立て背を丸めて体を脚にぴったりとくっつけ顔を膝の上に乗せる姿勢は、人間の体をもっとも小さく折りたたんだ形です。つぼみから花が開くように、この折りたたんだ体をほどくと自然に平坐の姿勢になります。背筋を垂直に立て両ひざを床に水平に開くのです。ひざと上体の分離、つまりうずくまり姿勢からの解放、これこそが胎児の姿勢から文化としての坐法への展開の第一歩なのです。氏の論によりますと、このような坐の形式の変化は、意識野の拡大、主・客や自他の区別、対象に対する自律的な自己の確立などの精神作用と呼応しているということです。

 さらに平坐は仏道の行法と結びついて、「正坐」や「結跏趺坐(如来の坐法)」、「半跏趺坐(菩薩の坐法)」などへ発展します。僧堂における坐の生活は、喫茶喫飯の作法としての正坐と坐禅を行うときの結跏・半跏趺坐の二種類から成り立っています。正坐の作法は、茶礼のみでなく、読経、礼拝などの僧堂の儀礼や行事の一切は、すべて正坐の姿勢で行われます。

 もともと禅宗で行われていた正坐の風習が、日本人流の坐り方として庶民に一般化されたのは江戸時代の元禄・享保頃だそうです。たかだか三百年程度の歴史しかありません。大雑把にいうと、その由来は、鎌倉時代に栄西が宋の僧堂で行われていた喫茶の習慣を日本に持ち帰ったものを、安土桃山時代に千利休が茶道の礼法として完成し、それが芸道や武道の修練に取り入れられる一方で、江戸時代に庶民に広がって日常化されたということです。うずくまる姿勢は世界のかなり広い地域に分布しているのに対して、正坐は日本だけにしか見られない独特の珍しい坐法なのです。

 山折は、正坐をダイアローグの姿勢、坐禅をモノローグの姿勢としてとても興味深い特徴づけを行っています。つまり、正坐に身を正すという行為は、人であれ仏であれ、他者の存在を前提に、それにむかって開かれた動的な対話のポーズであるのに対して、その対極にある坐禅は、壁にむかってただひたすら自己を追求する静的な独白の形式だというのです。

 最初に、直立歩行こそが人間存在の基本的な特徴の一つである、という人間学の基本的な考え方を紹介しておきました。ところが、坐禅の結跏趺坐の特徴は、これを真っ向から否定して、手足をしばって人間存在を空無化することにあります。上田閑照(『禅仏教―根源的人間』)は、坐ること、特に坐禅の人間学的意義を概略次のように述べています。

 「(直立に対して)坐って手足を組むということは、そういう人間学的優位性の事実を一旦ゼロに収め、運動をゼロに収めて、手も足も使わず何もしないところまで一度戻すということです。そしてこの「坐」の形を人間の原姿勢にすること、坐禅は、このように徹底的に何もしないこと、いやむしろ、自発的に何もしないというよりも、本当はどうにもこうにも手も足もでないという行き詰まりの具体化だということ、そして、釈迦がそうであったように、一切がそこから始まる」と。「これは、直立の優位性からすると、まさに脱人間ということ、宗教的にいえば人間存在そのものの懺悔ということができるでしょう」とも語っています。

 

 「直立」に対する「坐」の意義のおさらいはこれくらいにして、最初の八木重吉の詩に戻りましょう。最後の三行目の「こうして草にすわれば」の「こうして」とは、どうしてのことなのでしょう。「それがわかる」坐り方とは、どのような坐り方なのでしょうか。坐るからには、何らかの仕方で具体的に坐っているはずです。八木は、どのような坐の姿勢をイメージしていたのでしょうか。

 ひざを抱えてうすくまる姿勢は視野が閉ざされて草など目に入らないでしょうから、草との関係で自分を見つめることはできません。平坐(あぐら)は安楽の姿勢ですから、自己を深く反省するのには不向きです。畳の部屋で親父(おやじ)が息子に「おまえのまちがいだった」と厳しく叱るときの姿勢はまちがいなく二人とも正坐です。でも草の上で一人正坐するのはどうみても変です。自分を振り返って反省するのにもっとも適した坐法は、今までの話からすると、坐禅の坐法です。しかし、禅僧ならいざしらず、出家でもないふつうの人間が草の上で坐禅を組むのはとても不自然です。山田洋次監督がこの場面を映画の一シーンとして撮るとしたら、俳優にどんな姿勢で演技をさせるでしょうか。

 こんな詩の文学的価値とは何の関係もない、どうでもいいことを考え出すとついそのことで頭が一杯になってしまうことが私のダメなところです。

 ただ感じればいいものを、こんな分析的なことをやっていると、この詩のもつ深い味わいなどどこかに吹っ飛んでしまいます。あまりばかばかしいせいでしょうか、このことに触れた人は誰もいません。でもやはり気になります。谷川俊太郎も詠っているように、自分の深い間違いに気づくためには、草にすわらなければなりませんが、「まちがいがわかる」坐り方とはどんな坐り方なのか。