禅マインドフル・サポート実践法について

はじめに

(2)システム論の考え方

 私は、現役のとき、大学教授と福祉施設の理事長の二足の草鞋を履いていた。大学では心理臨床学、特に家族システム療法を専門にしていた。それで、一つひとつ違った顔をもつ家族と面接する多くの経験を得た。家族内の構成員間にみられる独自のくり返し起こる相互作用パターンを「家族システム」という。

 家族システムは固定して「ある」のではなく、個々の相互作用を通じてその一瞬一瞬に「なる」ものなのである。ちょっと分かりづらいかもしれないが、オートポエーシス理論の言い方をすれば、直前の創出的作動が次の創出的作動の契機となるという形で次々に創出的作動が継起してそこにおのずからシステムの構造が形成される。こうしてただ今、現在の家族システムが日々新たに自己創出されるのである。家族システムが個々の家族成員の行動を拘束する。と同時に、個々の成員の行動がその都度家族システムを創り出す。この双方向のダイナミックスがシステム論の基本原理である。

 システムのこの関係のことを、仏教では「縁起」という。縁起とは、この世のあらゆるものごとは他のあらゆるものごととの関係を縁として起こると考える理法である。たとえば、「一本のスミレのために、日が昇り、雨が降り、風が吹く」という言葉がある。宇宙の営みの一つとしてスミレが咲く。と同時にスミレが咲くことが宇宙の営みなのである。宇宙の営みとは、万物の個々の営みの相互関係の総体のことである。このことを仏教では「縁起」の一言で語るのである。

 システムに機能不全が生ずると家族内に様々な問題が発生する。その問題を解消するには、システムの相互作用パターンを変化させることが肝要である。むろん、家族成員の誰かが問題を起こすとき、当の本人の個人的資質に問題がないわけではない。が、システム全体の機能不全に起因するという視点を等閑視してはならない。家族療法では、「リフレーミング(症状の肯定的意味転換)と逆説命令(症状処方)」とか「例外の発見と良循環の促進」など学派によって技法は異なるが、いずれも機能不全の家族システムを意図的に変化させようとする。行動療法と同じ
「Doing-Mode」である。私は、意図的に介入しようとはせずに、ただクライエント家族に日常生活の変化に気づかせることだけに努めた。「Being-Mode」のシステム療法である。心理面接のときには、必ず最初に「いかがですか、お変わりございませんか?」という質問で始めた。諸行無常、パンタ・レイ(万物は流転する)なのであるから何かが変わっているはずなのに、クライエントはそれに気づいていない。たいていは「いつもと同じで、何も変わりはありません」というのがおおかたの返事である。さり気なく変化にどう気づかせるかが面接のポイントなのである。

 自験例を紹介する。中2の非行を犯した少年が両親と面接に来た。何回目かの面接のとき、いつもどおり「お変わりはございませんか?」と尋ねると、母親から「別に何も」という素っ気ない返事が返ってきた。そこで、「前回の面接はちょうどお昼どきに終わりましたよね。お帰りは?」と問うと、「帰りはファミリーレストランで三人で食事をしました」と答えて、ハッと気づかれた。「こんなことって、何年ぶりだったでしょうか」。「気づけば変わる」のである。むろん、気づかなくても変わっているが、気づけば実存それ自体が劇的に、質的に変わるのである。

 この事例は、拙著『サティ気づけば変わる釈迦の精神療法』からの再録である。このように、日常の家庭生活の中で起こる何気ないこまごまとした出来事の変化にクライエントの注意を向けさせ気づかせること、「気づけば変わる」が私の治療原則であった。