よく知られているように、「マインドフルネス(Mindfulness)」の語は、釈迦のパーリ語「サティ(Sati)」を英語訳したものである。意味は「気づき」である。これは古来より実践されてきた仏教における瞑想の中核をなすものである。
釈迦在世当時から、一点(たとえば、呼吸)に注意を集中してサマーディ(禅定)に達する集中型のサマタ瞑想と今この一瞬に起こっている出来事に深い気づきを得る観察型のヴィパッサナー瞑想の二種類があった。しかし、この二種類の瞑想は実践的に区別することは困難で、深い禅定(サマーディ)に入ってはじめて出来事の生滅変化の真理に気づく(サティ)ことができる。それゆえ、二つを合わせて「サマタ・ヴィパッサナー」瞑想と呼ぶ。サマタ・ヴィパッサナーの漢訳が「止観」である。
マインドフルネスはどちらかというとヴィパッサナー瞑想(洞察瞑想)の側面が強い。仏教では「如実知見」という。釈迦のヴィパッサナー瞑想を、現代風にアレンジしたのが、マインドフルネス瞑想なのである。カバットジン自身、道元禅の影響を強く受け、マインドフルネスが仏教思想と修行法にルーツをもつことを明言している。マインドフルネス瞑想法は、タイ、ミヤンマー、スリランカなど東南アジアに伝わるテーラワーダ仏教(原始仏教・上座部仏教)のヴィパッサナー瞑想を8週間プログラム(週 1回、1回約2時間)と数か月後のフォローアップ・セッション(経過観察)にマニュアル化したものである。