禅マインドフル・サポート実践法について

正宗分(しょうしゅうぶん) 禅マインドフル・サポート実践法

(4)禅マインドフル・サポートの実践プログラム

 実践プログラム(およそ2時間)は、止観・坐禅、慈悲の瞑想を基本とする。それに経行(きんひん)(歩行禅:マインドフル・ウォーキング)と仰臥禅(ボディー・スキャン)、坐禅前後の坐体操(マインドフル・ストレッチ)を加える。慈悲の瞑想を実施するのは、禅マインドフル・サポートにおいてもセルフ・コンパッション(自己への慈しみ)を重視するからである。最初と最後に実施する喫茶去(マインドフル・ドリンキング)がとても重要である。

 セッションの回数については、マインドフルネス・プログラムではそこが治療の場であり、なんらかの効果を上げることが期待されているので8週間に設定されている。しかし、禅マインドフル・サポート・プログラムでは、そのセッションの場での改善が目的ではなく、そこではただその意義と実践方法を学習するだけである。後は生涯にわたる実践に委ねられる。1回2時間のセッションを最低1回、できれば数回は続けることが望ましい。内容は各回ともまったく同じである。投げやりのようであるが、要は施設職員の忍耐とやる気の問題である。

プログラムの目次

① 禅マインドフル・サポートの意義と方法の説明:15 分間程度
② 喫茶(マインドフル・ドリンキング):10 分間程度
③ 坐体操(マインドフル・ストレッチ):5分間程度
④ 坐禅(マインドフルネスの坐瞑想法):30 分間程度
⑤ 慈悲の瞑想(コンパッション):5分間程度
⑥ 逆順の坐体操(マインドフル・ストレッチ):5分間程度
⑦ 経行(歩行禅:マインドフル・ウォーキング):10 分間程度
⑧ 仰臥禅(ボディー・スキャン):15 分間程度
⑨ 喫茶去(マインドフル・ドリンキング):20 分程度
⑩ 作務(3分間呼吸禅と日常生活におけるマインドフルネス)

 時間はおよその目安である。なお、仰臥禅は、セッションでは一連のプログラムの中で行うが、実際のホームワークでは、他の瞑想法とは独立に、就寝前にベッドの上で 20 ~ 30 分間程度実践する。

 通常のマインドフルネス・プログラムはグループ・セッションで実施され、参加者数は、たとえばカバットジンの場合 30 人程度(20 ~ 35 人)、シーガルらの場合上限 12 人のある。このグループは紹介や募集に応じた自発的参加者で構成されているので、それぞれみな初対面である。それに対して、禅マインドフル・サポートのプログラムは、施設内のグループ・ダイナミックスを重視し、職員の資質向上と施設システムの改善を目的としているので、参加者は同一施設の職員7~ 10 名程度、その中には必ずその施設のキーパーソンとなる管理者が含まれていることが望ましい。施設システムが問題だからである。

 マットと座布団1枚ずつ、それにお茶の用意をしておく。場所は静かな部屋で、マットを人数分敷く広さが必要である。

 次にプログラムの概要を示す。

喫茶(マインドフル・ドリンキング)

 これは、カバットジンのレーズン・エクササイズに該当する。ただし、喫茶は、日本臨済宗の開祖である栄西禅師(1141 ~ 1215)が 1191 年に宋から茶種を持ち帰って栽培し「喫茶養生記」を著して以来、日本文化に定着したものである。茶の作法は禅の礼法をもとにしている(岡倉天心『茶の本』)。何をするにもまず茶を一服して気を落ち着かせるのが日本文化の伝統なのである。

 予定された参加者が全員集合すると、最初にお茶を出す。お茶が運ばれて来たら、右手(利き手)で茶碗を軽く持ち上げ左手の手のひらでそっと茶碗の底を支える。その時の両手の動きに注意を向ける。茶碗の形や模様、茶の色合いや量を意識的に観察する。茶碗を口元に運び、少量口に含む。口に含んだお茶はすぐには飲み込まないでしばらく口のなかの感じを意識し、お茶の香りと味を味わう。飲み込むときには、茶の喉越し(喉を通って胃におさまる感じ)に注意を集中する。これは普段の茶の飲み方とはまったく異なる。マインドフルにお茶を味わってリラックスする。坐禅では、つねに意識が鮮明に目覚めていることが要請される。禅的喫茶法は、それへの準備的な導入技法なのである。

 今の若い人にはコーヒーの方がいいのかも知れないが、コーヒーカップには取っ手がついているのでどうしても片手飲みになる。その点、湯飲みは取っ手がついていないので自然と両手飲みになる。ここが重要なのである。つつましく、おくゆかしい日本の伝統文化の所作である。禅にはコーヒーはふさわしくない。

坐体操(マインドフル・ストレッチ)

 坐禅に入る前に身体を整えるために軽い運動をする。道元の『普勧坐禅儀』の正宗分に「左右揺振」し、とあるのをもう少し丁寧に行うのである。二枚折した座布団に腰を据え、足はまだ組まないで腰に引きつけて床に置いておく。手は腿の上に軽くそえる。図2に示したカバットジンの坐瞑想法のB図と同じ姿勢である。上半身の運動をゆっくり行う。できるだけ深く前にくぐまり後ろに仰ぐ。この前後の運動を2回行なってから、腰を中心に上半身を左回りに2回、右回りに2回回転させる。その後最初と同じ前後運動を2回行う。次に左右揺振する。腰から上、腹から上、肩から上、首から上と2回ずつ左右に揺振する。動作は次第に小さくなる。次に首を前後に2回ずつ振ってから左回りに2回、右回りに2回回転し、その後、前と同じように首を前後に2回振る。それが終わると、腰を軸に上体を左右に8回ねじる。最後に腕の運動を行う。水泳のバタフライのように、後ろから前へ8回、逆に前から後ろへ8回できるだけ大きく回すのである。これで終わりであるが、その後、体を少しくねくね動かしてほぐしておく。これをゆっくりとマインドフルに、すなわち体感に細やかに気づきながら行うのである。

坐禅(マインドフルネスの坐瞑想法)

 準備が整ったら、正身端坐(半跏趺坐)してサマタ瞑想(呼吸に注意を集中する)に入る。さざ波立った心を落ち着けるのである。サマーディ
(禅定)とまではいかなくても、心を静めるのがすべての前提である。心が落ち着いたら、ヴィパッサナー瞑想に移行する。といっても、あえて意図しなくても自然とそうなる。今この一瞬一瞬に心に浮かぶ思いや感覚・感情、体感などを、あたかも流れる雲を眺めるように、あるがままに(評価することなく)眺める。こうして、あらゆるものごとは一瞬一瞬に生滅変化するという真理を覚知するのである。

 坐禅では正しく身相を整えることが決定的に重要である。なぜなら、心身一如で、身を調え息を調えることがそのまま心を調えることになるからである。調身・調息・調心という。

 坐禅の作法は道元の『普勧坐禅儀』に従う。『普勧坐禅儀』は序分(前文)、正宗分(本文)、流通分(結び)の三部構成になっている。簡単にお復習(さらい)しておく。

序分の“むすび”は、「所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋(たづ)ね語(ご)を遂(お)うの解行(げぎょう)を休(きゅう)すべし、須(すべか)らく回光返照(えこうへんしょう)の退歩(たいほ)を學(がく)すべし。身心自然(しんじんじねん)に脱落(だつらく)して、本来(ほんらい)の面目現前(めんもくげんぜん)せん」である。原文のままでも意味はおよそ見当がつくが、現代語に訳すとこういう意味である。経典の言葉や文字から真理を学ぼうとすることは止めて、外に向けた光を内に向け返して自己の内側に真理を求める。これが坐禅を実践するということである。そうすれば身心は自然に脱落して(坐禅に成り切って)本来の自己があるがままに現前するであろう。

 正宗分に、坐禅の作法と要術が詳述されている。坐禅するときは、静かな部屋で、日常の煩わしい人間関係や雑事をすべて放り捨てて仕事も休む。このように状況設定して、次に坐るに当っての心構えが述べられる。善悪是非の二元的判断を停止する。心意識の運転や念想観の測量という一切の思慮分別の妄想を止める。そして「作仏(さぶつ)を図(はか)ること莫(なか)れ」、つまり仏になろうともはからわない。ただ坐るだけである。

 この「作仏を図ること莫れ」の一文は、中国の「磨塼(ません)の故事(こじ)」から採用したものである。江西の馬祖道一(ばそどういつ)が南嶽懐譲(なんがくえじょう)のもとで修業していたときの師と弟子のやりとりである。坐禅に励んでいる馬祖に南嶽が問いかける。以下、中野幸次の『道元断章』からの引用。

南嶽「お前は近日(ちかごろ)なにをしているか」
馬祖「近日わたしは只管打坐するのみです」
南嶽「坐禅して何をしようとしている」
馬祖「坐禅して作仏を志しています」
 すると南嶽は一片の塼(せん)(瓦(かわら))を持ってきて、馬祖の庵のそばの石にあてて磨き始めた。
馬祖「和尚、何をしておいでです」
南嶽「塼を磨いておる」
馬祖「塼を磨いて何をなさろうというんです」
南嶽「磨いて鏡にする」
馬祖「塼を磨いて、どうして鏡とすることができましょうや」
南嶽「坐禅して、どうして作仏することができようや」

 瓦を磨いて鏡にすることができないのなら、どうして坐禅して仏になることができようか、と問い返す南嶽の真意は、瓦を一心に磨く行為そのものが鏡となる道であるのと同様、坐禅それ自体が仏の姿なのである、と教えることにある。坐禅即ち悟りなのである。修証一等という。行を重ねて気づきに至るのではない。行それ自体が気づきなのである。そう禅では言う。後述するように、『普勧坐禅儀』で坐禅の要術を述べたすぐ後に「坐禅は習禅には非ず」と道元は述べている。習禅というのは、修行と悟りを二元的に分別し、修行して悟りに達するという坐禅の捉え方である。南嶽のこの教えは、坐禅そのものをやめさせようとしたのでは決してなく、馬祖が坐禅によって仏になろうとした過ちを戒めたのである。

図3「坐禅の姿勢」(沢木興道の 60・66・67・68 頁より)

 ここから次に坐禅の身構えについて一つひとつ丁寧に筆述されている。座布団に丸い坐蒲を置き、その上に尻を乗せて坐る。両足を蝶結びのように片方の腿の上に置く。これを結跏趺坐という。片蝶結びのように一方の足だけを片方の腿に安置することもある。半跏趺坐である。私は若い頃は結跏趺坐で坐っていたが、最近は年を取って骨が硬くなったので半跏趺坐にしている。両膝は座布団にしっかりとつける。尻と両膝でつくる三角形の中心に臍がくるようなイメージで尻を少し引くのがこつである。手は右手の掌の上に左手を掌を上にして重ね、両親指の先が軽く触れ合うように楕円形に閉じて趺坐した足の上に置く。この手の組み方を法界定印という。背筋をすっと伸ばして正身端坐し鼻で深く静かに呼吸する。これがふつうの坐禅の身構えである。

 次に坐禅においてもっとも大切な坐禅の要術が述べられる。「兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、箇(こ)の不思量底(ふしりょうてい)を思量(しりょう)せよ。不思量底如何(ふしりょうていいかん)が思量(しりょう)せん。非思量(ひしりょう)。これ即ち坐禅の要術なり」。薬山和尚と弟子との問答から引用した言葉である。「兀兀(ごつごつ)として坐定して」というのは、どっしりと山のように不
動の姿勢で坐り込むことである。その後に続く肝心の言葉は理解困難である。解説者によって少しずつ表現が異なるが、南直哉の解釈を採用させていただく。「不思量底(ふしりょうてい)」は、言語的な分別思考ではとうてい考えの及
ばない処(境地)のことである。その処を思量せよ。つまり、考えの及ばない処を考えよと訳のわからないことを言っている。当然、「不思量底如何(いかん)が思量せん」となる。どのように考えたらいいのだろう。どう考え
ようもない。ただ「うん?」と途方にくれるばかりである。どのように考えたらいいかわからない状態に踏み止まって、見えれば見えたまま、聞こえれば聞こえたまま、思えば思うたまま、無用な分別思量を離れて、ただ坐る。この「ただ坐る」が「非思量」ということである。この「ただ」が坐禅の要術なのだという。心が兀兀として坐定することである。

 ただし、これは「流布本」における坐禅の要諦である。『普勧坐禅儀』には二種類のヴァージョンが現存する。「流布本」と「天福本」とである。道元は宋から帰国した嘉禄三年(1227)に最初の著書『普勧坐禅儀』を撰述した。「嘉禄本」と呼ばれる。しかし、その原本は散逸して現存しない。その六年後、つまり、天福元年(1233)にこれを浄書したのが「天福本」である。これは宋の慈覚大師長蘆宋賾(ちょうろそうさく)の『禅苑清規(ぜんねんしんぎ)』(1103)第八巻に収蔵された「坐禅儀」を下敷きにしたものである。今日一般に口唱されている「流布本」は、道元がほぼ十年かけてこの「天福本」に推敲を重ね、仁治三年(1242)頃に完成されたものと推定されている。両書の間にはかなり大幅な相違がみられる。

 問題は坐禅の要術の相違である。もともとの「天福本」では「念起(ねんお)こらば即(すなわ)ち覚(かく)せよ。之(これ)を覚せば即ち失(しっ)す。久々(ひさびさ)に縁(えん)を忘(ぼう)じ、自(みずか)ら一片(いっぺん)と成(な)らん。此(こ)れ坐禅の要術なり」となっている。これは宋賾(そうさく)のそのままの引用である。ここでいう「念」はサティのことではなく、「念想観」の「念」と同じく今心に浮かぶ思い(つまり、サティの対象)のことである。「覚す」がサティ(気づき)である。つまり、もしも何かの思いが心に浮かんだら、すぐにそれに気づきなさい。気づけばその思いは消えてなくなる。思いが起こったら捨て、起こったら捨てして坐禅に集中していると、ついには自然に坐禅と一体になる。これが坐禅の奥義であるというのである。「流布本」よりもともとの「天福本」の要術の方がマインドフルネスの考え方に近い。

図4 「生命の覚触」(内山興正の第9図より)

 内山興正は『坐禅の意味と実際』において、天福本に直接触れているわけではないが、まるでその要諦の解説ででもあるような坐禅観を分かりやすく説明している。坐禅中といえども、石が坐っているのではないから、頭に思いが浮かんだり、考え事をしたり、眠気が起こるのは自然のことである。だが、その思いを追ったり考え事に耽ると坐禅にならない。正身端坐の姿勢が崩れてしまう。だからといってそれらが起こらないように無理して「無念無想」になることではない。そんなことをすればかえって「妄念妄想」に悩まされることになる。起こったら起こったことにありのままに気づく。気づけば自ずから消える。消えたらもとの正しい坐禅の姿に戻る。思いの手放しである。「気づいて手放して今ここに戻る」。ただそれだけのくり返しである。それを長く続けていると、自然に身・息・心が調って一つになる。それが「自ら一片と成る」ということであろう。なんと天福本の要術そのままではないか。

 図4にあるように、内山興正は「見る」、「観察する」という表現を避けて「覚触」という言葉を使う。ネルケ無方は「生命の覚触」の図を次のように説明している。ZZ’の線は「兀兀として坐定している」心の姿を表している。この線はサマタであってマインドフルネスではない。心が ZZ’の線から外れたとき、その都度「外れている」ことに気づき、 ZZ’の線に戻る。その気づきがサティ(マインドフルネス)である。サティの働きが「覚」することであるが、それは「見る」覚ではなく、「触れる」覚である。「見る」ことには、見る主体と見られる客体との間に距離がある。だが、触れて「痛い!」とか「熱い!」といった感覚には隙間がない。まるで触れるように見るのである。これが覚触ということであると無方はいう。

 天福本の坐禅の要術の一文が後の流布本では「非思量」に書き換えられているのである。このことには、何か坐禅に対する道元の根本的な思想の変革があったのであろう。

 坐禅瞑想の意義をもっとも端的に表現しているのは、釈迦の遺言とされている『仏遺教経』の「八大人覚」の六「禅定」の冒頭の言葉ではな
いかと思う。それにはこうある。

 「若(も)し念(ねん)を摂(おさ)むる者は心則(こころすなわ)ち定(じょう)に在(あ)り、心定(こころじょう)に在(あ)るが故(ゆえ)に能(よ)く世間(せけん)生滅(しょうめつ)の法相(ほつそう)を知(し)る」。

 “念を摂むる”とは、ざわついている今の心(念)を落ちつかせることである。心が落ち着くと、必然的に心は静かに安らぐ。これが“心則ち定に在る”ということである。“念を摂める”と“心則ち定に在る”とは同じ「禅定」のことを言っている。次につづく文の“法相”は、この世のあらゆるものごとのあるがままの姿を意味する。つまり、心が定にあって鏡のように清く澄んでいれば、ものごとをあるがままに映し出すことができるので、この世のあらゆるものごとのあり方が刻一刻と生滅変化している真実をよく知ることができる。この“世間生滅の法相を知る”のが「智慧」である。仏教においては、禅定・智慧、それに慈悲は三位一体である。

慈悲の瞑想(コンパッション)

 坐禅の止観瞑想が終わったら、そのままつづけて最後に「慈悲の瞑想」を行う。テーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」では、

① 私が幸せでありますように(慈)
② 私の悩み苦しみがなくなりますように(悲)
③ 私の願うことがかなえられますように(喜)
④ 私に悟りの光が現れますように(捨)
(地橋秀雄)

と、まず最初に「自分への慈悲」を唱えてから、この「私」の箇所に「私の親しい人々」、「生きとし生けるもの」、「私がきらいな人々」、「私をきらっている人々」という言葉を入れ替えて唱え、最後に「すべての衆生が幸せでありますように」と3回くり返して念ずることになっている。「私」を中心にして慈悲の輪が次第に広がるのである。この「慈悲の瞑想」はそれぞれ基本の4行から成り立っていて、各行は主語が違うだけですべて同じ定型句である。これは仏教の最重要徳目である「四無量心(慈悲喜捨)」を表している。

 「汝の隣人を愛せよ」というのは『聖書』の有名な言葉である。だが、その前に「己を愛する如く」という言葉があるのはあまり知られていない。「自分を愛するように、他の人を愛しなさい」という教えである。『聖書』においてもまず自分が基点となっている。

 これがテーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」であるが、実際にやってみると長過ぎるので、私は、自作の「サティ気づきの言葉」を心の中で(内言で)唱えている。

サティ気づきの言葉

今 わたしの心と体と命は 静かに安らいでいる
今 わたしの心と体と命は 清らかに澄んでいる
今 わたしの心と体と命は まことに目覚め
             慈しみに満たされている
今 あなたの心と体と命は 静かに安らいでいる
今 あなたの心と体と命は 清らかに澄んでいる
今 あなたの心と体と命は まことに目覚め
             慈しみに満たされている
今 みんなの心と体と命は 静かに安らいでいる
今 みんなの心と体と命は 清らかに澄んでいる
今 みんなの心と体と命は まことに目覚め
             慈しみに満たされている
   安らか清らか慈しみ
   安らか清らか慈しみ
   安らか清らか慈しみ
                   南無空我

これを、坐禅と同じくゆっくり呼吸しながら、息を吐くときに一文ずつ唱える。吸うときは黙想で今唱えた一文を深く味わう感じである。「南無空我」の空我は筆者のペンネームなので、これを実践される人は、それぞれ自分の氏名の名を唱えられればよい。

逆順序の坐体操(マインドフル・ストレッチ)

 「慈悲の瞑想」が終了すると、しばらく呼吸瞑想して、最後に坐禅の前に行った坐体操を逆の順序で行う。まず、首から始め、肩、胸、腹、腰と次第に動作が大きくなる。この後、上半身を左右にねじり、最後に手の運動を行う。立ち上がる前に、そのまま坐った姿勢で、両足をそろえてまっすぐ前に伸ばして腰から上の上半身を軽く8回前に屈伸する。次にその足を引き寄せて両足裏をくっつけ両膝をぐっと広げ、前と同じ
ように上半身を8回前に屈伸する。これを2回くり返す。それを終わってからゆっくりと立ち上がり、次の経行(きんひん)に移る。

経行(きんひん):歩行禅(マインドフル・ウォーキング)

 経行は、古くよりインドで健康法として実践されてきたものが仏教の修行法に取り入れられたものである。マインドフルネス瞑想法のマインドフル・ウォーキングに相当するものであるが、それとは似て非なるものである。

 道元が在宋中に先師の天童如浄禅師(てんどうにょじょう)から学んだことを日記風に綴った『宝慶記』に経行の作法について詳しく書かれている。

 坐禅から立って経行するときは、一息半趺の法を行う。一息吐いて吸う間に半歩だけ前に進むのである。半歩というのは、爪先から踵までの半分の歩幅のことで、これを右足左足と交互に繰り出すのである。経行の歩き方は、静かに立って、歩いているのかいないのかわからないほど緩やかに歩くのである。傍から見ると同じ場所に立っていて少しもうごいていないかのようであるが、気がつけばいつの間にか移動しているという感じである。坐禅は静中の工夫、経行は動中の工夫と区別される。手は叉手といって左手の親指を内にして握り、手の甲を外にみぞおちのあたりに軽く当て、右の手のひらでこれを覆う。まず姿勢を正して静かに呼吸を調えて、足を踏み出すときは必ず右足から出し次に左足を出す。目は半眼で前方を俯瞰し、ゆっくりとまっすぐに歩く。もし方向を変えなければならないときは、必ず右まわり、これを順行という。左に曲がってはならない。歩くときの姿勢は、かがんだり仰向けにならず、背筋をまっすぐに伸ばす。上半身は坐禅とまったく同じで、足だけが動くともなく静かに前へ進む。

図5「経行の儀則」(沢木興道の 73・75 頁より)

 修行法の一つとして穏歩するということは、その一歩一歩の動きに成り切って、そこに精神を集中させ、体の動きと床に接触した足裏の感触を体感する。坐禅という静禅と経行という動禅とは一対のもので、この二つの行為の中に自己を解体し融合することが深い修行になるということである。坐禅の瞑想から日常の生活へ戻るための移行段階とみなしてよい。

 何のためにやるかというと、眠気を醒ましたり、足の痺れを解いたり、疲れを休めるためとされている。しかしただそれだけの理由であれば、手足を伸ばして屈伸運動をしたり、軽いストレッチ体操をした方がよほど効果的である。

 釈迦在世時にはすでにインドで実践されていたのである。つまり、二千数百年、あるいはもっと前から続けられていたということである。単なる眠気醒ましや疲れ休めの手段以上の何かがなければこんなに続くはずがない。いってみれば、手の組み方と坐る歩くの違いはあるが、あとはまったく坐禅と同じ行として実践されていたに違いない。歩行禅といわれるゆえんである。

 これを参加者全員で行う。一列になって等間隔を保ちながら一息半趺で進む。すると、おのずから皆の呼吸がひとつに同調する。これがグループで経行することの醍醐味である。こういう経験は日常ではけっしてできない。

仰臥禅(ボディー・スキャン)

 仏教では、日常生活における活動の形を行・住・坐・臥の四種類で代表させる。これを「四威儀」という。つまり、歩く・立つ・坐る・横になることである。四威儀の行のうち、〈行・住〉は経行で、〈坐〉は坐禅で行った。残るのは〈臥〉である。これも我が国において昔から仰臥禅として実践されてきた。仰臥禅はカバットジンの瞑想法の中核であるボディー・スキャンとよく似ている。

 私も毎晩就寝前にベッドの上で仰臥禅を試みている。やり方の基本は、江戸時代の儒学者・貝原益軒の『養生訓』(1713)に従っている。日常の雑事はすっかり放念して仰向けに安臥する。手足は自然に伸ばす。両足の踵は約 15 センチ、両手と体も同じ 15 センチほど間隔をとる。『養生訓』では、手はしっかりと握りしめることになっているが、私は手のひらを軽く開いて下向きに敷布団の上に置いている。枕は用いない。その方が背筋がすっと伸びるからである。顎は少し引く。目を閉じて深く静かに丹田呼吸(腹式呼吸)をする。息を吸いながら腹が膨らみ、息を吐きながら腹が縮むのを感じている。ただこれだけのことをくり返すのである。時間はその日によって違うがおおよそ 20 分間程度である。もういいかと思ったら横向きになってそのまま寝る。

 ただこれだけのことである。貝原もここまでしか述べていない。だが、筆者は、これに加えて、息を吸いながら足裏の土踏まずから気が入り、脛、腰、腹、胸、顔を通って頭頂に至りそこでいったん止まる。次に息を吐きながら気が頭の後ろ側から肩、背中、腰、ふくらはぎを通って土踏まずから出る。このように呼吸に合わせて体の全体を巡る「気の循環」を観想している。これは、同じ江戸時代の臨済宗の禅僧・白隠禅師の『夜船閑話』(1757)に記載されている「内観の秘法」を簡素化したものである。ただし、「内観の秘法」にあるような自己暗示の言葉は唱えない。

 白隠禅師は近代精神医学の祖師と呼ばれている。彼の「内観の秘法」は一種の自己暗示療法で、ストレス・不安・ノイローゼなどの精神療法として後世に大きな影響を与え続けている。このような症状をもつ患者の主訴はたいてい不眠症である。睡眠障害の患者にただ寝ろといっても土台無理な話である。頭にこびりついた不眠への不安や妄想を取り去る必要がある。そのための方法が「内観の秘法」なのである。正身仰臥の姿勢は貝原益軒の法とほぼ同じである。

 カバットジンが白隠の『夜船閑話』を読んでいたかどうかは知らないが、序分で述べた彼のボディー・スキャンの説明文は、言葉は違うが内容はほぼ同じで、まるで『夜船閑話』の概要を読んでいるようである。私が毎晩実践している「気の循環」の観想ともよく似ている。ボディー・スキャンは、ストレス低減法やうつ病の治療法の一環として実践されているので、非常に細部にわたっているが、私の仰臥禅は、ただ一日の締めくくりとして安らかな眠りにつくために就寝前に行っているだけなので、何のはからいもなくとてもおおざっぱなものである。

 高山 峻は、『白隠禅師夜船閑話』(1943)のなかで、「白隠の仰臥の型式もまた坐禅の一種である」と認めつつ、「これはよほど修行せねば睡ってしまう恐れがある」と警告を発している。その上で「自分は相当永く経験しているが、実によく睡れて到底坐禅としての効果は挙げ得ない。それでも、腹の調子は非常によくなり、またよく睡る結果は頭脳も相当明瞭となり得る利益だけは痛切に感じられる」と副次的効果を賞揚している。カバットジンも『マインドフルネスストレス低減法』で、不眠症を主訴とする 54 歳の女性患者が、4週間のボディー・スキャン・プログラム終了時には、睡眠障害が改善したばかりか、高血圧も安定し、背中と肩の痛みも驚くほど軽くなり、それと同時にそれまで2か月間、彼女が訴え続けてきた肉体的な症状が激減したという症例を報告している。

喫茶去(マインドフル・ドリンキング)

 坐禅会においては、坐禅が終わると、坐禅堂を出てもとの部屋に戻り、住職を中心に坐って、茶を飲みながらグループ・ミーティングを行う。参加者が思い思いに話をするのである。筆者が参加した坐禅会では端から順番に全員が話をしていた。これと同じことを、禅マインドフル・サポート・プログラムの最後に行う。何を話しても批判されることはなく、温かく傾聴される雰囲気が大切である。

 ただし、このプログラムの最初に趣旨が説明されており、参加者もそのつもりで参加しているのであるから、話は自ずから施設における運営や支援活動に関係したことが話題となるであろう。インストラクターはそれをひとつにまとめるようなはたらきかけはしない。参加者がそれぞれに何か感じることがあればそれでいい。

これでプログラムは終了。解散。

 「喫茶去」という禅語は、中国唐代の禅僧・趙州(じょうしゅう)禅師(778〜897)の語録『喫茶去』に出てくる言葉である。日本の禅宗では伝統的に「まあ、お茶でも一服召し上がれ」という意味に使用されている。

 しかしもとを正せば、「(茶堂へ行って)茶を飲んで出なおしてこい」という師から弟子への叱責の言葉なのだそうである。小川隆の解説を要約すると、こういうことらしい。「まあよい。下がってお茶をよばれ、僧堂に入って、また一から修行するがよい。要は本人が、自己の自己たるゆえん、己れが己れであるという活きた事実、それをしかと我が身に自覚しているか否か、ただその一事だけである。その一事に気づいておらねば、修行は常に今この場が第一歩だ」(インターネットの横田南嶺による紹介文を書き換えた)。

 喫茶去は、趙州禅師の禅語であるから、私にはまったく歯の立たない深い意味があるに違いない。「去ってお茶を飲んでこい」というのは一から出直せということであり、道元が「ただ坐れ」というのと同じほど重みのある言葉なのであろう。軽々しく「マインドフル・ドリンキング」などと呼べる代物ではない。

作務(3分間呼吸禅と日常生活におけるマインドフルネス)

 以上は、喫茶去を除いて私が毎日実践していることを研修用にプログラム化したものである。むろん坐禅が中心である。しかし、坐禅のために毎日 30 ~ 40 分間の特別の時間を作るのは容易ではない。そこで、これを簡易化した「3分間呼吸禅」であれば、日常生活の中でいつでもどこでもだれでも手軽に実践することができる。3分間というのはおよその目安である。それより長くても短くでも構わない。要は坐禅の短期実践法ということである。椅子か床にきちんと坐って静かに深く呼吸しながら、吸う息、吐く息に意識を集中する。頭に何かが浮かんだらそれに気づいて意識を呼吸に戻す。ただこれだけのことである。自然と心が安らいで落ち着く。何かを始める前や終わった後に儀式的にやるととても有効である。私も仕事を始める前や終わった後、あるいは待ち時間や少し時間が空いた時などに随時に実践している。

 「3分間呼吸禅」は呼吸に意識を集中するが、日常生活のどのような活動においても同様のことが行える。『普勧坐禅儀』の正宗分は坐禅をするに当たっての心得から書き始められている。この段の締めに「豈(あ)に坐臥(ざが)に拘(かか)わらんや」とある。坐臥とは坐ること、臥すことである。これは行住坐臥の四威儀の短縮形である。「豈に坐臥に拘わらんや」はいろいろに解釈されている。原田祖岳によれば、以上の心得は、坐禅に限らず一切の行住坐臥にかかわっている。日常生活のこまごましたすべての行為もその通りにせよという教えである。人生において一番大切なことは何か?それは「今やっていること」、これがその答えである。今自分がやっていることをマインドフルにやりなさいということである。

 マインドフルネスでも同じことが要請されていた。どのような行為でもいいのであるが、私は、茶碗洗い、掃除、洗濯等、何かした後の後始末、つまり最初のさらの状態へ戻す行為を重視している。家庭における私の仕事は茶碗洗いである。その行為の一つひとつを丁寧に行っている。丁寧に行うとは心を込めることである。心を込めるとは、今この一瞬に気づきを向けて取り組むのである。

 後始末は、日常生活における「ご破算」の実践である。私たちは、食事の後片づけや掃除、洗濯など、何かしたらその都度「後片づけ」をする。これをやっておかないと、次にするときそれがやれないからである。でも、それだけに止まらず、「後始末」にはそれ以上の何かがある。

 「飯喰ったか、茶碗洗っとけ」。これは趙州(じょうしゅう)禅師の逸話である。新入りの若い修行僧が趙州禅師に尋ねる。

 

「悟りを開く修行は、どのようにすればよいのでしょうか」
禅師は問う。「朝の粥はいただいたかね」
修行僧は答えて、「はい、いただきました」
禅師はただ一言、「すんだら鉢を洗っておきなさい」
  (中野幸次の『道元断章』より引用)

 

仏道修行といっても何か特別のことがあるわけではない。日常生活の行住坐臥、一挙手一投足がこれ修行なのだ、と趙州禅師は説いているのである。日々是弁道(ひびこれべんどう)という。弁道とは、仏道修行に一心に励むことである。