禅マインドフル・サポート実践法について

むすび

(3)幸福の青い鳥

 幸福といえば、メーテルリンクの『青い鳥』がすぐ頭に浮かぶ。この話は「見えないものが見えるようになる」チルチルの修行物語である。チルチルとミチルの兄妹が幸福の青い鳥を求めて旅立つ。その冒険の旅は、さまざまなメルヘンの国を巡り歩いて青い鳥を探す旅である。

 青い鳥は「どこにもあって、どこにもないもの」というパラドックス的存在である。つまり、幸福は、日常生活のどこにでもごろごろ転がっているのに、私たちはそれに気づいていない。トルストイは「幸せの形はひとつだが不幸は様々だ」と言っているそうであるが、メーテルリンクは「幸福の楽園」で幸せでない幸福を含めてたくさんの幸福たちを登場させている。「不幸と同じく、幸福もまた人それぞれに千差万別だ」といっているのである。

 最後の「目ざめ」の場面はよく知られている。けっきょく旅ではどうしても青い鳥を手に入れることができなかった。ところが、家に帰ってみると、旅立つ前とまったく同じはずの自分の家が、以前とは比べものにならないくらい、ふしぎに新鮮で、楽しげで、幸せそうに見える。しかも飼っていたキジバトまでが青い鳥になっているのである。意図せずに、チルチルの見方はコペルニクス的に転換されている。旅の苦労で、ふだん見えないものが見えるようになる気づきの知恵を身につけたからにほかならない。「幸福はまどろみであり、不幸はめざめである」という言葉がある。幸福にめざめるためには相応の知恵がなくてはならない。メーテルリンクにとって、幸福と知恵は表裏一体のものである。

 しかし、手にした瞬間、青い鳥は飛び去ってしまう。そして、チルチルの青い鳥探しの旅がまたはじまる。おそらくそれは、チルチルの生涯にわたる旅であるに違いない。

 

最後に、日常生活における五箇条のクレド(生活信条)を挙げて、締めくくりとする。

 

日常生活における5箇条のクレド(生活信条)

① 今この瞬間はただ一つのことだけをする。ながらをしない。
茶碗洗うときにはただ茶碗を洗う。洗濯するときにはただ洗濯をする。掃除するときにはただ掃除をする。一時に一事しかやれないのだから、あれもしなければこれもしなければと気ぜわしく思い煩わない。
② 今やっていることに成り切る。
今ここに心がきちんと居合わせていると、心と行為とが一体となる。成り切れば我を忘れる。イチローは言っている。「きた球をただ打ち返すだけです。そこに私はいません」。
③ 心が遊び出したら、それにあるがままに気づく。
いくら意識を集中しようとしても、心は自由に遊び出す。無理に遊ばないようにしようと努力しない。気づけば自然にもとに戻る。
④ あらゆるものごとはたえず生滅していると知る。
このことを知ればものごとにとらわれなくなる。とらわれなければ心は自由である。とらわれないことにもとらわれない。
⑤ ただひたすら、あくことなくやりつづける。
やりつづけていれば、今やっていることの“ただならなさ”に気づく。気づけば安らぎと慈しみがおのずから湧き起こる。日々の仕事や生活が充実する。